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しょぼいボブ・サップではなくボブ・ディランでしょう。
http:// www.you tube.co m/video s?ytses sion=wd RQJFy_0 FqKOwAP xkWSAyH gGBjMEv Xf15XTk 3cnhnUU v3aCFO0 ODD_l4n pDQsVyO mroOtd0 xgtrzdu YhOjKn_ yDjx0cm Z98Jmgw CTrMH-R 352fP3j TSc9fN5 x8snjLH R3_52AY 1dZVOkc jO2uZvm l0IPcd8 KnUsv7x oim1QRl E83VXek 0fM8sfS tSDZdXq Si0uvSr tELLy8r 3Phzrmt W83199k hSNGjk_ RYq3qUU nYNrKP7 h8cPigH hTHJlk2 HIJdSw9 wf_qtdH 7rbiO-U qt_G8Vy nkj2_5d sAWLIpO RH4Gy6l Slqf_Va E9Eezq0 59YFVA0 4JjGg5v yHXc1Ye dLe-VS8 6WFeWCQ -0jMXBM twVfXXS zER6oaS lFZqLmi W7-F
Bob Dylan: Newport Folk Festival, July 25, 1965
(Lee Marshall)
ボブ・ディランを一生懸命聴いた憶えはないが、最近ではよく聴く。'Highway 61 Revisited'とか'Blonde on Blonde'ね。この人と音楽のカリスマ性ってもしかしたらビートルズを凌駕するんじゃないかしらん?
さてMarshallの論文。
多くのページが「フォークリバイバル」とのディランの微妙な関係に割かれている。面白いことに第一次リバイバルも第二次リバイバルもイギリスで起こっていることだ。どういうことだろう?私は勝手にアメリカのボブ・シーガーとかウッディー・ガスリーを思い起こしてしまうのだが・・・。
それはそうとニューポート・フォーク・フェスティバルでのディランの演奏はたしかにエレキギターを持って登場したことで有名だし、以来フォークの世界では裏切り者呼ばわりされたこともよく知られている。
筆者は必ずしもフォーク・リバイバルのイデオローグたち(イワン・マッコールやアラン・ローマックス)を表立って批判しているわけではないが、黒人音楽にも造詣が深い音源収集家にして批評家ローマックスに関してはこのフェスティバルでの演奏の後、ディランのマネージャーがローマックスに喧嘩を売り、泥まみれになった、とある。
フォーク・リバイバルのイデオローグたちへの批判という点では私も共感する。初期のリバイバルは基本的に近代的な国民とは区別される「民衆」(folk)をフェティッシュ化することで、明らかに反近代的なロマン派であり、「過去」を捏造したことも疑いえない。それも近代のテクノロジーである録音機材をフルに利用して田舎を飛び回って音楽を収集したくせに、である。ほっとけば消えていく音楽や歌を保存したいという気持ちは分かるし、大事だとも思う。が、収集したものをカテゴライズし、それを世の中に問うときいろいろな問題が起きる。つまり「生きた音楽」ではなく物神化された「過去」にしてしまうのである。
続く。
http://
Bob Dylan: Newport Folk Festival, July 25, 1965
(Lee Marshall)
ボブ・ディランを一生懸命聴いた憶えはないが、最近ではよく聴く。'Highway 61 Revisited'とか'Blonde on Blonde'ね。この人と音楽のカリスマ性ってもしかしたらビートルズを凌駕するんじゃないかしらん?
さてMarshallの論文。
多くのページが「フォークリバイバル」とのディランの微妙な関係に割かれている。面白いことに第一次リバイバルも第二次リバイバルもイギリスで起こっていることだ。どういうことだろう?私は勝手にアメリカのボブ・シーガーとかウッディー・ガスリーを思い起こしてしまうのだが・・・。
それはそうとニューポート・フォーク・フェスティバルでのディランの演奏はたしかにエレキギターを持って登場したことで有名だし、以来フォークの世界では裏切り者呼ばわりされたこともよく知られている。
筆者は必ずしもフォーク・リバイバルのイデオローグたち(イワン・マッコールやアラン・ローマックス)を表立って批判しているわけではないが、黒人音楽にも造詣が深い音源収集家にして批評家ローマックスに関してはこのフェスティバルでの演奏の後、ディランのマネージャーがローマックスに喧嘩を売り、泥まみれになった、とある。
フォーク・リバイバルのイデオローグたちへの批判という点では私も共感する。初期のリバイバルは基本的に近代的な国民とは区別される「民衆」(folk)をフェティッシュ化することで、明らかに反近代的なロマン派であり、「過去」を捏造したことも疑いえない。それも近代のテクノロジーである録音機材をフルに利用して田舎を飛び回って音楽を収集したくせに、である。ほっとけば消えていく音楽や歌を保存したいという気持ちは分かるし、大事だとも思う。が、収集したものをカテゴライズし、それを世の中に問うときいろいろな問題が起きる。つまり「生きた音楽」ではなく物神化された「過去」にしてしまうのである。
続く。
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