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研究職です。大学にて英語講師、家庭教師、翻訳などをやってます。
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『麦の穂を揺らす風』はたしかイーモン・デヴァレラとマイケル・コリンズを念頭にして内戦で袂を分かつ兄弟を造形していたと思う。
独立戦争の後でイギリスーアイルランド条約(北部六州を残して「アイルランド自由国」として自治独立を許すもの)推進派と反対派でシンフェイン党とその軍事組織IRAが分裂して戦い合うという・・・。
推進派のリーダーがマイケル・コリンズで反対派がデヴァレラだ。デヴァレラはイギリス皇室への忠誠の拒否とイギリス連邦(コモンウェルス)からの即時脱退を主張したわけね。ちなみにコリンズは内戦中に戦死。
マイケル・コリンズはちょっと前映画化されたくらいだから人気があるみたいだが、デヴァレラのほうは微妙だな。共和国として南が完全独立したあと長い間大統領に居座ったわけだけど、彼の妥協無き共和主義(「北」はアイルランドの領土である、という主張)と国内での反動的とも言うべき保守政治でかなり批判されている。とくにフェミニストに評判がすこぶる悪い。
まあそれはそうとデヴァレラが出入りしていたゲーリック・リーグ(アイルランド語を復活させることを目的とした文化団体)にはロンドン支部があって、そこで生まれたのが「ケーリー・バンド」という音楽形体なわけね。
20世紀初頭の話。まあそれはゲーリック・リーグの会合を盛り上げるためにかなりおざなりに作ったそうで。「ケーリー」はまあスコットランドやアイルランドなどの田舎に散見されたダンス音楽なんだけど、50年代以降一気に廃れてしまったそう。デヴァレラ政権下のアイルランド共和国では「ケーリーバンド」は不純なもの(アイルランド固有の音楽ではない)とされ、代わりにアイリッシュ・ハープやボドランのような打楽器が「アイリッシュ・ヘリテージ」という文化政策の中で称揚されたんだと思う。アイルランド語で歌う伝統歌謡とか。
私的に言ってしまえば民謡がアイルランドでは「高級な」音楽になっていく訳ね。他のヨーロッパ国におけるクラシックのような地位にね。このポピュラーなのに「高級」という困った事態が起こるのも独立以前から中産階級だったカトリックが権力中枢を握ったからだと思う。それまでは公職から追放されていたからね。ルサンチマンというか・・・。
当然メディアテクノロジーの発展も見逃せない。つまり録音技術の発展とレコード、レコードプレイヤーの登場ね。アメリカにおけるアラン・ローマックスのようなコレクターがわんさかアイルランドに来て録音採集して周った。その中心人物がショーン・オレアダということになる。クラシックも勉強していた人らしいが、アイルランド歌謡・民謡を収集する傍らで音楽家として、また音楽学者として一気に有名になる。やっぱこれ50年代かな。
そのオレアダがやっていた楽団からチーフタンズのようなのちに「アイルランドの宝」と呼ばれるようになるバンドのメンバーも出ているみたいだ。
整理すると、
デヴァレラの反動保守政治。
カトリックの旧中産階級の台頭(レコード再生機は当時高かっただろうからね。)
「アイリッシュ・ヘリテージ」という文化政策。
このような条件があってアイルランドでは民謡が高級芸術になっていった、と。いちおうそう整理しておく。
90年代以降は別としてアイルランドって西ヨーロッパでも貧しい国だったからね。大学にも行けないような労働者階級の人たちや新興中産階級の若者たちにとってはこんな文化政策どうでもよかったはず。
そこでロック音楽が盛んになった。
でも複雑なのは労働者階級や農村にも伝統音楽は当然ある。結局「純粋な」伝統音楽なんて妄想だからな。
そういうわけでアイルランド出身のU2がロックを世界的なポピュラー音楽にした時点でカウンターカルチャーとしてのロックの時代に終わりが来る。さらには89年ごろからの「ワールド・ミュージック」ブーム。
シニード・オコナーもホットハウス・フラワーズのオマオンライもロック以外のジャンルとして民謡に接近(復帰?)を試みた。
このオマオンライ、びっくりすることにシューゲーザーの雄マイ・ブラッディー・ヴァレンタインのケヴィン・シールズとダブリンでパンクバンドをやっていたそうだ。
奥が深いよ。
Don't go / Hothouse Flowers
Sadhbh Ni Bhruinneallaigh / Liam O Maonlai
まったく別人に見えるかもしれんが同人物である。
ちなみに共和国の文化政策の中で「不純」というレッテルを受けたケーリーバンドにパンクロックのエッセンスを詰め込んだザ・ポーグスを私が評価する理由は以上のノートで推察していただけると思う。
独立戦争の後でイギリスーアイルランド条約(北部六州を残して「アイルランド自由国」として自治独立を許すもの)推進派と反対派でシンフェイン党とその軍事組織IRAが分裂して戦い合うという・・・。
推進派のリーダーがマイケル・コリンズで反対派がデヴァレラだ。デヴァレラはイギリス皇室への忠誠の拒否とイギリス連邦(コモンウェルス)からの即時脱退を主張したわけね。ちなみにコリンズは内戦中に戦死。
マイケル・コリンズはちょっと前映画化されたくらいだから人気があるみたいだが、デヴァレラのほうは微妙だな。共和国として南が完全独立したあと長い間大統領に居座ったわけだけど、彼の妥協無き共和主義(「北」はアイルランドの領土である、という主張)と国内での反動的とも言うべき保守政治でかなり批判されている。とくにフェミニストに評判がすこぶる悪い。
まあそれはそうとデヴァレラが出入りしていたゲーリック・リーグ(アイルランド語を復活させることを目的とした文化団体)にはロンドン支部があって、そこで生まれたのが「ケーリー・バンド」という音楽形体なわけね。
20世紀初頭の話。まあそれはゲーリック・リーグの会合を盛り上げるためにかなりおざなりに作ったそうで。「ケーリー」はまあスコットランドやアイルランドなどの田舎に散見されたダンス音楽なんだけど、50年代以降一気に廃れてしまったそう。デヴァレラ政権下のアイルランド共和国では「ケーリーバンド」は不純なもの(アイルランド固有の音楽ではない)とされ、代わりにアイリッシュ・ハープやボドランのような打楽器が「アイリッシュ・ヘリテージ」という文化政策の中で称揚されたんだと思う。アイルランド語で歌う伝統歌謡とか。
私的に言ってしまえば民謡がアイルランドでは「高級な」音楽になっていく訳ね。他のヨーロッパ国におけるクラシックのような地位にね。このポピュラーなのに「高級」という困った事態が起こるのも独立以前から中産階級だったカトリックが権力中枢を握ったからだと思う。それまでは公職から追放されていたからね。ルサンチマンというか・・・。
当然メディアテクノロジーの発展も見逃せない。つまり録音技術の発展とレコード、レコードプレイヤーの登場ね。アメリカにおけるアラン・ローマックスのようなコレクターがわんさかアイルランドに来て録音採集して周った。その中心人物がショーン・オレアダということになる。クラシックも勉強していた人らしいが、アイルランド歌謡・民謡を収集する傍らで音楽家として、また音楽学者として一気に有名になる。やっぱこれ50年代かな。
そのオレアダがやっていた楽団からチーフタンズのようなのちに「アイルランドの宝」と呼ばれるようになるバンドのメンバーも出ているみたいだ。
整理すると、
デヴァレラの反動保守政治。
カトリックの旧中産階級の台頭(レコード再生機は当時高かっただろうからね。)
「アイリッシュ・ヘリテージ」という文化政策。
このような条件があってアイルランドでは民謡が高級芸術になっていった、と。いちおうそう整理しておく。
90年代以降は別としてアイルランドって西ヨーロッパでも貧しい国だったからね。大学にも行けないような労働者階級の人たちや新興中産階級の若者たちにとってはこんな文化政策どうでもよかったはず。
そこでロック音楽が盛んになった。
でも複雑なのは労働者階級や農村にも伝統音楽は当然ある。結局「純粋な」伝統音楽なんて妄想だからな。
そういうわけでアイルランド出身のU2がロックを世界的なポピュラー音楽にした時点でカウンターカルチャーとしてのロックの時代に終わりが来る。さらには89年ごろからの「ワールド・ミュージック」ブーム。
シニード・オコナーもホットハウス・フラワーズのオマオンライもロック以外のジャンルとして民謡に接近(復帰?)を試みた。
このオマオンライ、びっくりすることにシューゲーザーの雄マイ・ブラッディー・ヴァレンタインのケヴィン・シールズとダブリンでパンクバンドをやっていたそうだ。
奥が深いよ。
Don't go / Hothouse Flowers
Sadhbh Ni Bhruinneallaigh / Liam O Maonlai
まったく別人に見えるかもしれんが同人物である。
ちなみに共和国の文化政策の中で「不純」というレッテルを受けたケーリーバンドにパンクロックのエッセンスを詰め込んだザ・ポーグスを私が評価する理由は以上のノートで推察していただけると思う。
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