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失礼しました、って感じです。

ポール・ギルロイの『ブラック・アトランティック』原書を半分ほど読み終わった。

10年前イギリスから帰ってきたころにR大のK教授のゼミで部分的には読んでいたのだが、その時のK教授のことの方が印象が強い。それというのもやくざ風外見(光りもののスーツ、尖ったブーツ、巻いた後ろ髪)のこのK氏がラジカセとCDをゼミ室に持ってきたからだ。

2年前の退官だからお爺ちゃん先生だったのだが、アメリカ文学のゼミに似合わないモノを持ってきたもんだ、と思って見ていた。

それが何のCDだったか、思い出せないが、2 Live Crewとかギルロイが本書でとりあげていたラップグループだったと思う。

その当時、アメリカ文学ではトニ・モリソンやラルフ・エリクソンが流行り始めていた頃だった。私はただイギリスでピーター・ヒュームに学ばせてもらった、というだけでそのゼミに出ていたわけで、私の専門であるアイルランド文学(小説・詩)とはほとんど関係がなかった。

さてギルロイさんについて、

まず英語がクセがあって読みにくい。もともとイギリスの大学で教育を受けている人の文章とアメリカの大学で教育を受けた人の文章は明らかにアメリカ英語の方が読みやすい、つまりきわめて平均的な英語を書き、段落構成も明快である。ただそれだけの原因でギルロイの英語が読みにくいのではなくて、やっぱりポピュラー音楽への傾倒がそうさせるのではないか、と思った。

本書でも彼が時々使う「シンコペーション」(じつはよく知らない音楽用語だが・・・)、これではなかろうか?

ホントに日本語に訳するのは大変な作業だった、と思う。

さて今頃本気で読んでるのにはおそらく当時の私に英文学研究についての微かな執着があったからだ、と思う。ギルロイの本に西欧文学、またその批評・研究に対する決定的な最終通告が書かれている、予感があったからだ。

それは本書でテクスト性と物語という言説分析に基礎をおく(西欧白人の)「文学」に対して、ドラマツルギー、発声、身振り、といった前‐言説または反‐言説の分析にこそ基礎をおくべき、とするギルロイの主張に明快に表れている。

この前‐言説、反‐言説の性格を端的に持つ文化形態こそ(ポピュラー)「音楽」である、と。そこに大西洋を横断しつつ形成された黒人音楽の政治的な力が宿る。

けっこう強力な議論であり、私的にはやはり打ちのめされる。

音楽を中心に論じた第3章のパワフルさはやはり見事でした。とくに音楽と(民族的、または人種的)アイデンティティーの関係性を論じる箇所は説得力がある。黒人アイデンティティーを「自己の経験的な感覚」として肯定しながら、黒人本質主義者の政治からも、相対主義に陥りがちな反本質主義者の非政治的なスタンスからも身をかわす、その粘っこいギルロイの論法に「やっぱりこの人凄いわ」と思った。

「反‐反‐本質主義」という立場が可能なのかどうかには私は自信がないが・・・。

それにしても大西洋横断的な黒人音楽に疎いわ、自分。まあ好みじゃなくても聴きたくさせるのがギルロイなのかな?
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