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「哀愁のマンデイ」のボブ・ゲルドフではなく、ホフ・ディラン、じゃなくてボブ・ディラン。

前回ニューポート・フェスティバルでのディランのステージ後にマネージャーと黒人音楽収集家でフェスティバルの実行委員の一人であったアラン・ローマックスが取っ組み合いをした、と書いたが前日の土曜日に行われたブルースのワークショップでのことらしい。というのもディランのマネージャーであるアルバート・グロスマンが日曜日に一夜漬けのバックバンドを務めたポール・バターフィールド・ブルース・バンドのマネージャーでもあったことが発端なのだそうだ。

ローマックスは「黒人のブルースを演奏する白人」が大嫌いだったそうでバターフィールド・バンドの演奏後、嫌な応対をしたローマックスに喧嘩を売った、というのが真相だ。

筆者マーシャルの意見によればこの事件が次の日に出演が予定されていたボブ・ディランの気持ちをエレキギターでオーソドックスなロックバンド形式での出演に踏み切らせたのではないか、と述べている。

どちらにしても50年代に再発したフォーク運動との断絶をディランが身をもって示したのは確かだろうと思われる。反戦、労働者階級の味方を掲げていた第二次フォーク・リバイバルから離脱したわけである。

さてもう一人の大物マッコールに関して言えばこの人がオリジナルらしい「ダーティー・オールド・タウン」はやっぱり名曲だけど、スコットランド民謡への介入、フォーク音楽運動を社会主義的なポリティックスに結びつけた張本人である。さらにはフォーク音楽(バラッドのようなトラッドを含めて)を教条的なものにしたことだけは否めないようだ。

ちょっと切ないのはポーグスの「ニューヨークのファアリーテール」でレコーディング、PVともにマッガワンと共演したカースティー・マッコールがこのイワン・マッコールの実の娘であり、さらには2000年にメキシコで交通事故によってこの世を去っていることである。

なんと因果な話であることか!
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