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研究職です。大学にて英語講師、家庭教師、翻訳などをやってます。
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CSF5月例会のお知らせ(改訂版)をお送りいたします。

 1980年代末の「ワールドミュージック」ブームは冷戦期最後を飾る、「第三世
界」からの、または「第三世界」を搾取するポピュラー音楽産業の一つの動向
であった。1950年代以降に次々と欧米宗主国から独立していったアフリカや
アジアの音楽には、ナショナリズムの高揚が波打っていたことが想像できる。
一方で1990年代以降の日本において沖縄の音楽が脚光を浴び始めるのは
また別の文脈であって、冷戦以降の、グローバル化時代の幕開けという側面
をもっている。今回のワークショップでは現在の東南アジアのポップス、アフリ
カのポップス、それに日本のポピュラー音楽の現況報告を通し、冷戦時代の
ものの総括を含めたワールド・ミュージックの現在を考える場としたい。その
際冷戦期/グローバル化時代のワールドミュージックを語る上で、進化してい
くメディアを巡る政治経済体制の変化が、美学上の「趣味」の問題とともに鍵
となるはずである。

 皆様のご来場をお待ちしております。         (九谷浩之)

論題:グローバル化時代のワールド・ミュージックとメディア

日時:5月26日15時~18時

場所: 武蔵大学7号館3階社会学実習室2
    (西武池袋線 江古田駅下車)
 アクセスについてはこちら→〈http://www.musashi.ac.jp/kotsu/index.html


発表者・報告題
1)平尾吉直氏(首都大学東京)「ジンバブエ都市ポピュラー音楽とコミュニティ」


2)笹川秀夫氏(立命館アジア太平洋大学)
  「タイとカンボジアのポピュラー音楽にみるグローバル化と反グローバル化」


3)佐藤英孝氏(放送局勤務)「ルーツミュージックの日本における需要と受容」


ディスカッサント) 九谷浩之(立教大学)

 皆様、ふるっておいで下さい。笹川さんは大分県からはるばるいらっしゃいます。


【報告要旨】
1)平尾吉直氏(首都大学東京)「ジンバブエ都市ポピュラー音楽とコミュニティ」

首都ハラレや南部の町ブラワヨをはじめとするジンバブエ都市部のポピュラー音
楽は、コミュニティとそこで行われる互助活動との関わりのなかで発展してきた。
それは欧米の音楽や南アフリカのンパカンガ、コンゴ共和国(旧ザイール)のル
ンバなど周辺諸国の音楽を貪欲に取り入れながら、笑いを中心にすえることで
コミュニティ内の教育やガス抜きの役割を果たしてきた。一方、政府はローデシ
ア時代からコミュニティの互助活動を抑制しつつ利用してきており、音楽もまた
例外ではなかった。そこには都市の労働人口を制御し、都合の良い労働力の
流れを作り出そうとする意図が見え隠れする。政府の方針転換に翻弄されな
がらも、ジンバブエの都市住民は独自の娯楽としての都市ポピュラー音楽を発
展させてきた。それはやがて農村や鉱山労働者の間で受け継がれてきたムビ
ラ音楽などの要素を取り込み、歌詞のうえでもナショナリズム色を強めていく。
こうして生まれたトーマス・マプーモなどによる「チムレンガ・ミュージック」がジン
バブエの独立闘争において果たした役割は決して小さいものではなかった。し
かし、独立後のムガベ政権もまた、コミュニティ活動を抑制しつつ利用するとい
った姿勢には変わりがなかった。トーマス・マプーモらは政府に対する批判を強
め、いくつかの曲はジンバブエの放送から締め出されている。今回の発表で
は、こうしたジンバブエ都市ポピュラー音楽の歴史を跡づけながら、この国の現
状において音楽が果たしうる役割を探りたい。

2)笹川秀夫氏(立命館アジア太平洋大学)

「タイとカンボジアのポピュラー音楽みるグローバル化と反グローバル化」
いわゆる「ワールド・ミュージック」の流行以来、20余年を閲した結果、東南アジ
アのポピュラー音楽もまた日本で紹介される機会が増えた。ただし、流行当初
にみられたインドネシア音楽の紹介のされ方にせよ、近年みられるタイのルー
クトゥンやモーラムといったジャンルをめぐる語りにせよ、「純粋」に「土着的」な
音楽のみに高い評価が与えられてきたように思われる。そして、英米や日本
から強い影響を受けた東南アジアのポップスは、「真正」な東南アジアの文化
と見なされていないようにも思える。しかし、カルチュラル・スタディーズの課題
が、「真正」とは見なしえない文化の検討をも包含することは、言を俟たない。
本報告では、英米や日本からも影響を受けつつも、タイのポピュラー音楽が中
国語圏と近年どのように連関しているか、また、タイ・ポップスがカンボジアで
どのように受容されているかを概観する。あわせて、タイにおいて「中国的なも
の」が商品化していく過程や、タイ文化の流入がカンボジアのナショナリズム
を刺激し、反タイ感情を惹起している状況にも言及することで、グローバル化
および反グローバル化がローカルな文脈でどのように現われているかについ
て考察を試みたい。

3)佐藤英孝氏(放送局勤務)「ルーツミュージックの日本における需要と受容」

かつて「民族音楽」とよばれ、主に学者の間で研究対象として扱われていた音
楽が、「ワールドミュージック」というパッケージを与えられ、ヨーロッパを中心
にポピュラー音楽の愛好者に届く経路が開かれたのが80年代後半のこと。20
年近い月日を経た現在の受容のありようを、放送関係者の観点から報告す
る。また、測道のような話題ではあるが、日本においてミュージシャンが「ルー
ツミュージック」を消化した実践例を幾つか紹介しつつ、その中での受容を考
えてみたい。
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オレにはバブルは関係ねー、と思ってきたのですが・・・。

やはりバブルを自分なりにでも清算する必要のある人間の一人であることを自覚するに至るふらふら

今日は南大沢のST大学で授業のあと、M台の弟子の一人で最近共著を出したSさんと昼飯を食らう。

ちょうど月曜日は講師室で一緒なんだよね、奇遇なことに。

M台氏に興味が持てないこと、東にもあまり興味がないことを再確認。私がだよ。

S氏と話していて、バブルに代表される高度消費社会の私なりの回避の仕方が「文学」であったことも再確認。それ以来社会というものにあまり興味を持てなくなった理由もそれ。ある意味消費社会とはまったく別の神学を「文学」に見つけたことでアノミーを乗り切ることができたのだと思う。

もちろんそれだからといって誰にでも、とくに若者に「文学」を薦めるほどの説得力が現体制の文学にも、また文学研究にもないことは私も認めている。

ベストではなく、ベターな選択をしたまでである、当時の私は。でもその神学がここ数年また揺らぎだしたんだけどね。

その点においてはロックがあまり頼りにならなかった、とは正直に言っておく。

今日の一曲はAC/DCの「Hail Caesar」。ロック=ダサイが時々ロック=ダサイ=でもかっこいい、になる永遠のワンパターンハードロックバンドである。アンガス・ヤングのランドセルわーい(嬉しい顔)
SecretWish.jpg

ある種の贅沢だったには違いないね、インディーズにはまり込むことは。

バブル回想録、第2弾。

軽い、派手、豪華、ホテルの一室を借り切ってパーティー、ワンレン・ボディコン、ジュリアナ。一般にこういうのは当時の社会で差異表示記号として機能していたわけでせう。

もう一方でくだらないモノを面白がる文化があった。街角の変な張り紙やらオブジェを投稿する雑誌『ビックリハウス』(だったけな)、糸井重里が一気に世に出たのもこの文脈だと思う。コピーライティングの「遊戯性」、これこそがこの文化の本質だったろう。

以前も書いたが、週に3,4日は新宿のレコード屋をハシゴしてはガラクタのようなインディーロックのシングルやレコードを買った。ほとんど自宅で録音したような音の悪さ、ジャケットのキッチュさ、下手な演奏に「魂」のこもらない歌。こういうガラクタの中にきらりと光るバンドを発掘するのが楽しかった。

つまり80年代のインディー文化は「遊戯性」によって高度消費社会に貢献していた、と言えよう。お金はそんなにかからないけども、心理的な余裕というかな、やっぱり一種の贅沢であった。

ちなみに80年代に糸井重里は詩人かどうか、というけっこう白熱した議論があったように思う。本人は詩人であることを否定しているが、詩人に対しては尊敬の念があるそうだ。まあ文学ではないが、大衆消費社会の詩人ではあろう。

90年代に青春時代をすごした知人に80年代の音楽には、というより歌に「魂」がない、という趣旨のことをよく言われる。はは、魂ってあっかんべー、でも発声法が違うということじゃないかな、と思う。80年代の歌ってその他ある楽器の一つくらいの重みしかなかったし、歌い方も鼻歌っぽい。つまり90年代以降の新R&B「歌姫」のような「腹から歌う」ことがなかった。

ただそれだけ。Kate Bushは例外だな。

今日の一曲はドイツのエレクトロバンドPropagandaの'Duel'。かのトレバー・ホーンがやっていたレーベルZTT、その秘密兵器的な存在だった。
80年代批判ですか涙
一昨日リリー・フランキーが「最も復活しそうにない時代、風変わりな時代」と80年代を総括していた。

別にフランキーに批判の意図があったとは思わないが、80年代に(暗い?)青春を送った私にはちょっとぐさっとくる。

確かに「教師びんびん物語」の田原俊彦が復活することぐらいありえないことかもしれん。

日本の場合「バブル」がその「風変わり」さを醸成していたのだろう。田舎の熊本でコムサ・デ・モードのブルゾンに一生三宅のズボンをはいていた「私」とは何者だったのか?いわゆる「ポパイ」のような「おしゃれ」スタイル雑誌からは距離をとっていた私である。パンクに身をやつすこともあった。

だがニューウェーヴというロック音楽が「おしゃれ」であったことは否定しようがない。

よく私より若い世代に80年代の音楽は「くそ」だと言われ、70年代は「良質」だったといわれる。パンクはギリギリ70年代だ。90年代以降、ニルヴァーナ以降、ロックはより硬派になったように見える。その一方で零落激しく新しい世代のR&Bに押されることになったのだが。

つまり80年代はすぽっと音楽の歴史から抹消されたかのようだ。

事実はThe PoliceやU2などの超人気ロックバンドを生んだのは80年代なのである。日本では布袋の「ボウイー」かな。要するにロックの最盛期だったのだ。私はスーパーロックバンドが嫌いでインディーズばかりを聴いていたが・・・。

でもThe PoliceもU2も初期はかっこいい!
そういうわけで今日の一曲はThe Policeの「A Message in a bottle」だ。

ボードリヤールの消費社会分析は80年代の日本にこそ真価を発揮する気はする。ということはやはり彼もバブルの人だった、ということになるかな。田原俊彦並に復活は難しい?
今年の春参加を辞退したウガンダのDVD教材の編集が芳しくないらしい。

去年の春に私も参加したタンザニアのDVD教材(私も3秒ほど横顔で登場)も出来上がった完成版に不満爆発。

だって私の名前のクレジットが漢字間違えてんだもん!

撮影、編集は大阪NPO団体が担当しているのだが、ほぼタンザニア取材にも同行したカメラマンY氏の手によるものらしい。因みにこちらがこのNPO団体のホームページ:
http://www.eizo-kiroku.com/

表紙帯の写真は実は私が撮ったのであるが、無断使用。まあこのY氏のカメラで撮らされてたんだけどね。まあそれはいいよ、別に。

問題はDVDだ。SE(Sound Effect)の入れ方がおかしい!

勝手に「悲惨なアフリカ」が演出されている!

悲惨じゃないとは言わないが、少なくとも我々が訪れて撮影した場所は「悲惨で哀しすぎる」ことはなかった。Y氏にはアフリカンポップスなどを使ったらどうですか、と進言しておいたのだが、使われているのはほとんど教育テレビで流れるようなシンセ音楽。とくに過剰に暗いシンセサウンドが流れている。

でもまあアフリポップスを使うと使用料が発生するか。

カット割り、構成にこの人の好みがどうしても反映されている。内戦、飢餓、エイズ、これらがこのY氏の「アフリカ物語」であるようで・・・。

予算の問題があるようだが、編集にもっと我々がコミットできれば違ったものが出来上がっただろう。

せっかくのDVDなのだからもっと口出ししていいのでは?
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