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ある種の贅沢だったには違いないね、インディーズにはまり込むことは。
バブル回想録、第2弾。
軽い、派手、豪華、ホテルの一室を借り切ってパーティー、ワンレン・ボディコン、ジュリアナ。一般にこういうのは当時の社会で差異表示記号として機能していたわけでせう。
もう一方でくだらないモノを面白がる文化があった。街角の変な張り紙やらオブジェを投稿する雑誌『ビックリハウス』(だったけな)、糸井重里が一気に世に出たのもこの文脈だと思う。コピーライティングの「遊戯性」、これこそがこの文化の本質だったろう。
以前も書いたが、週に3,4日は新宿のレコード屋をハシゴしてはガラクタのようなインディーロックのシングルやレコードを買った。ほとんど自宅で録音したような音の悪さ、ジャケットのキッチュさ、下手な演奏に「魂」のこもらない歌。こういうガラクタの中にきらりと光るバンドを発掘するのが楽しかった。
つまり80年代のインディー文化は「遊戯性」によって高度消費社会に貢献していた、と言えよう。お金はそんなにかからないけども、心理的な余裕というかな、やっぱり一種の贅沢であった。
ちなみに80年代に糸井重里は詩人かどうか、というけっこう白熱した議論があったように思う。本人は詩人であることを否定しているが、詩人に対しては尊敬の念があるそうだ。まあ文学ではないが、大衆消費社会の詩人ではあろう。
90年代に青春時代をすごした知人に80年代の音楽には、というより歌に「魂」がない、という趣旨のことをよく言われる。はは、魂って、でも発声法が違うということじゃないかな、と思う。80年代の歌ってその他ある楽器の一つくらいの重みしかなかったし、歌い方も鼻歌っぽい。つまり90年代以降の新R&B「歌姫」のような「腹から歌う」ことがなかった。
ただそれだけ。Kate Bushは例外だな。
今日の一曲はドイツのエレクトロバンドPropagandaの'Duel'。かのトレバー・ホーンがやっていたレーベルZTT、その秘密兵器的な存在だった。
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