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「ワールドミュージック」がちょっとした流行となったこと(長文ごめん)。
「セゾングループ」の「モノから文化へ」の標語とともに日本全体がいわゆる「文化」的なものに巨大な投資を始めた時代である。
それが80年代の終わり。
もちろんそれ以前から『ミュージックマガジン』はアフリカやアジアのポピュラー音楽を紹介してはいたのだが、基本路線は黒人ルーツ音楽(ブルースなど)を巡っていたと思う。ロックももちろん採り上げていたと思うがそれでも黒人ルーツ音楽との関連で、ということではなかっただろうか。
70年代末のパンクは80年代に入ると急速に「おしゃれ化」しMTVの登場と相まって、髪型、服装、などとパッケージされて大量に供給された。
それが「ニューウェーヴ」だったととりあえず考えておこう。
そのうち主流はThe PoliceやU2のようにスーパーロックグループに成長してゆく。私を含めたこのようなあからさまな商業主義が嫌いな者には「インディーズ」という隠れ蓑が提供されていた。Rough Trade, Cherry Red, 4AD, Factoryといった並みいる「優良」インディーレーベルが乱立した。日本でもちょっと遅れたとはいえ「ナゴムレコード」を中心にしてインディーズブームがやってくる(奥田民夫もこれが出発点)。
日本にだけ視線を限定すれば80年代後半はいわゆる「バブル期」だったので、ほんとにマイナーな英米のインディーズバンドでさえもがライヴをしに日本に来れた時代だった。
さて「ワールドミュージック」だが私から見るとそれは「差異表示記号」の最終兵器であった。敷居が高そうに見えること、ポピュラー音楽の「原点」であるという漠然としたその「権威感」(authenticity)、それら全てが日本を含めた高度消費社会において急速に「産業化」されていくポピュラー音楽への「異議申し立て」のように感じられたであろう。それとともに「オレは他の連中とは違う」という自意識も満足させられる。それも一種の贅沢である。
したがってそれまではアフリカやアジアの国営のレコード会社がほぼ現地ミュージシャンのパトロンとなっていたのが、「ワールドミュージック」ブーム到来以降大々的に商業ベースに乗るようになった。国営のレコード会社はそれまでの音源の売買によってそれなりに儲けたのではないかと想像するが、実質的にも表面的にもそれからは欧米、日本の音楽文化企業が出資するようになったのではなかろうか?
アメリカのPutmayoのことをここで思い出すのだが、やはり「ワールドミュージック」もパンクロック同様「おしゃれ」なものとして売り出されていく過程が見える。「ワールドミュージック」の場合はそこに、エコロジーという付加価値が加わる。
そうなるともう我々の住むグローバル化時代の論理である。
自由競争、環境保護、etc.
今日はパンクとワールドミュージックの同列化として、イギリスのThe Clashの名曲'Rock the Casbah'とアルジェリアのRachid Tahaの'Rock el Casbah'を紹介する。オリジナルはクラッシュ。
The Clash, 'Rock the Casbah'
http://
Rachid Taha, 'Rock el Casbah'
http://
もちろんクラッシュのオリジナルは題材をアルジェリアの「貧困地区」("casbah")にとっているのでタハがカヴァーしてることに違和感はない。
というか、どっちもかっこいい!
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