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作詞家であった阿久悠の死去と詩人イエーツの読書会。
同じく言葉を紡ぐ職人でありながら別世界を生きた二人、その深い溝で「ことば」の生(機能とは言うまい)に思いはせる必要がある。
この世に生まれてこのかた歌謡曲に囲まれて育ったことは言うまでもなく、その中でも阿久悠の言葉をその都度の流行歌とともに聞いていた私がある。
望むと望まざるを問わずフィンガーファイヴ、ピンクレディー、沢田研二、石野眞子の歌声に阿久悠の言葉を聞いていた。
今はJポップの時代。歌謡曲とは何だったのか、Jポップとは何か、そういうことが気になる。
イエーツの'The Gift of Harun Al-Rachid'。アラビアの千夜一夜物語、古都バグダッド、シンドバッド、古典的なオリエンタリズムを背景にした詩である。
ピンクレディーの「渚のシンドバット」を思い出すのは不謹慎だろうか?
たぶん不謹慎ではないのだ。ノーベル賞詩人イエーツの題材と物語プロットは近・現代日本の漫画、アニメ、歌謡曲、jポップ等の中に見出すことができるし、特に最近流行のライトノヴェルなんかに濃厚に見出せる。
イエーツにありライトノヴェルにないのは内省の深さ、すなわち思想であり、言葉の超絶的な技巧である。
つまり言葉の超絶技巧が「思想」なのである。
いわゆるセカイ系(私=セカイ)がおぞましいのは自分勝手なセカイ観だけにあるわけではなく、言葉への執着があまりにもないことにある。このセカイでは「ことば」は記号に過ぎない。もちろん文学の言葉の超絶技巧にもまた「異常性」が感じられないわけではない。しかしその異常性、逸脱性が「人間」であると感じられた時代があったことは確かだ。
思想がなくコミュニケーションしかないポピュラー文化と、思想しかなくコミュニケーションを拒む文学、そのどちらもが現在の「私」には混在している。
それはそれでキツイ。
同じく言葉を紡ぐ職人でありながら別世界を生きた二人、その深い溝で「ことば」の生(機能とは言うまい)に思いはせる必要がある。
この世に生まれてこのかた歌謡曲に囲まれて育ったことは言うまでもなく、その中でも阿久悠の言葉をその都度の流行歌とともに聞いていた私がある。
望むと望まざるを問わずフィンガーファイヴ、ピンクレディー、沢田研二、石野眞子の歌声に阿久悠の言葉を聞いていた。
今はJポップの時代。歌謡曲とは何だったのか、Jポップとは何か、そういうことが気になる。
イエーツの'The Gift of Harun Al-Rachid'。アラビアの千夜一夜物語、古都バグダッド、シンドバッド、古典的なオリエンタリズムを背景にした詩である。
ピンクレディーの「渚のシンドバット」を思い出すのは不謹慎だろうか?
たぶん不謹慎ではないのだ。ノーベル賞詩人イエーツの題材と物語プロットは近・現代日本の漫画、アニメ、歌謡曲、jポップ等の中に見出すことができるし、特に最近流行のライトノヴェルなんかに濃厚に見出せる。
イエーツにありライトノヴェルにないのは内省の深さ、すなわち思想であり、言葉の超絶的な技巧である。
つまり言葉の超絶技巧が「思想」なのである。
いわゆるセカイ系(私=セカイ)がおぞましいのは自分勝手なセカイ観だけにあるわけではなく、言葉への執着があまりにもないことにある。このセカイでは「ことば」は記号に過ぎない。もちろん文学の言葉の超絶技巧にもまた「異常性」が感じられないわけではない。しかしその異常性、逸脱性が「人間」であると感じられた時代があったことは確かだ。
思想がなくコミュニケーションしかないポピュラー文化と、思想しかなくコミュニケーションを拒む文学、そのどちらもが現在の「私」には混在している。
それはそれでキツイ。
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