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なのか?

http://www.youtube.com/watch?v=-Jgma--0WYU

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のクライマックス。そこで選ばれたのがこの「ダニー・ボーイ」という唄である。

「世界の終わり」と名付けられた仮構世界で生きる「私」と現実世界(「ハードボイルド・ワンダーランド)の「私」。この二つに分かたれた同一の「私」を繋ぐのが古ぼけた手風琴であったとすれば、そこで奏でられる「ダニー・ボーイ」は言及される多くのポピュラー音楽のなかでも特別な唄であることが分かる。

「僕はその音楽の中に街そのものの息づかいを感じることができるような気がした。僕はその街の中にあり、その街は僕の中にあった。街は僕の体の揺れにあわせて息をし、揺れていた。壁も動き、うねっていた。その壁はまるで僕自身の皮膚のように感じられた。」(「下」p.287)

いわば「世界の終わり」であるこの街が「僕・私」が創造したものに他ならないということを理解する場面である。

いわゆる「セカイ系」の先駆け的なものとしても読めるね、これ。「私」が「私」であるために世界=セカイの存亡が賭けられる。「君」という最小限の他者はいる。恋人の存在である。

さて何故「ダニー・ボーイ」なのか?おそらく多くの評論家がいろんなことを書いているだろうが、ここではこの唄が「ロンドンデリー歌曲」という北アイルランド民謡をその原曲としていることを指摘しておく。北アイルランドの州歌でもある。

ロンドンデリー(デリー)にはこの夏に行ってきた場所の一つである。「血の日曜日」で有名なように紛争が最近まで激しかった土地柄だ。でも歌詞はイギリス人が書いており、またこの唄が最も人気があるのはアメリカにおいてであるようだ。デリーは数多くの移民をアメリカに送ってきた歴史がある。デリーの中心を流れ、海へと流れ込む川沿いには移民の記念碑が建てられていたことを私は思い出す。だからアメリカに渡ったアイリッシュ・アメリカンたちの間で故郷を思い、歌われ続けた唄なのだと思う。

歌詞の内容は一般に戦場へ向かう息子を慮る親(母もしくは父)の気持ちを綴ったもののようであるが、多分日本の文脈では学校の下校時間を知らせる音楽として知られているじゃないかな。違う曲だったかなあ?どちらにしても懐かしいメロディーであり、ちょっともの哀しくも美しい旋律ではある。

さてそれはそうと現実世界の「私」を思い出しつつある「世界の終わり」の「僕」は何故自らが作り出した仮構世界に居残ることを決意したのだろうか、それがいまいち分からない。

「やみくろ」が支配する地下世界の意味もよく分からない。

でも面白かったことは認めておく。
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