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一曲目に収録されている「je pense a toi」。メロディーがどこか呪術的で忘れられない。でもアルバム、全体的にはちょっと単調かな。

こういう民族歌謡みたいなポピュラー音楽も私は好きである。だから懺悔ノートでこれまで書いてきたようなアイルランド歌謡もけっこう好きだ。でも研究でその音楽を語ることと「大好き」と居酒屋で語り合うのはまったく違う。そこには素朴な研究意欲だけではなく自らの語る場の「政治」に自覚的な批評精神が必要とされるのである。

先月だったかモウリさんの『ポピュラー音楽と資本主義』の書評会で私は「敢えて」民族歌謡を省略したことをやんわりと批判した。パンクの起源に「アイルランド」が係わっていることを主張さえした。バランスを取りたかったというのもあるが、それはアイルランド協会の一員である私、言いかえればアイルランド歌謡を取り巻く「政治」に片足を突っ込んでいる責任からそうせざるをえなかった面がある。ワールドミュージックを巡る政治と言ってもいい。今回のアイルランド協会におけるアイルランド歌謡を巡るパネルで先輩のSさんがイントロでポール・ギルロイからの引用をしていたのも象徴的である。モウリさんはそのギルロイのお弟子さんの一人だからである。

私の言動は単なるバランス感覚なのかもしれないが、それ以上にそれぞれの学問、学会の「政治」に敏感だからでもある。

学問が一生懸命に研究する人には公平である、というのは一面的なことであって、大方の昔かたぎの学者さんは職が安定すると批評精神を忘れ去っていく。キツイからである。自分の関心あることを思う存分研究したい、という気持ちは誰でも一緒だが、それが可能となった「政治」に批評的であることは学者の責任である。

さて12月に日本ポピュラー音楽学会で発表する準備を始めなければならない。すでに私は「パンク」に関して発表することになっていて、日本のテクノで発表する人の枠に入れられてしまった。このポピュラー音楽研究の枠の設定にも強烈な「政治」の匂いがする。「パンク」が特権的な記号として機能する枠であることが容易に想像できるからだ。じゃあ私はどうするのか?

答えは発表の最後でワールドミュージックを評価してみせる、これである。これは私が天性の天邪鬼だからそうする訳ではない。

それが私のギリギリの「批評」なのである。
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