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渋谷系へ。



それこそ俊輔が在籍しているセルティックスの本拠地グラスゴーはネオアコ、その後のヘタウマインディーズバンドの中心地だった。当然リヴァプール同様アイルランド系移民が多いわけだが、オレンジジュースのソウル好きも「ノーザン・ソウル」というクラブ動向があったからだろう。

さて「渋谷系」もその内実は様々だと思うが、イギリスのネオアコの流れ、アメリカの60年代ポップス(ソフト・ロック、ビーチボーイズ、フレンチポップス)の流れ、それらが日本のロック・ポップス(ナイアガラ・トライアングルを巡る)と合流することで成り立っていたのではないか。

カジヒデキのBridgeは音楽的にはフリッパーズ・ギターのネオアコの部分を強調したバンドだったように思う。

スポークスマンとしての小西康陽(ex.メロン、ピチカート・ファイヴ)が影響大だったことは間違いないが、大方彼を中心とした「渋谷系」の戦略に乗せられていた私ではあるがピチカートだけは一切聴かなかった、というか思いっきり避けた。

お洒落すぎたからである。

しかしセルジオ・メンデス、ロジャー・ニコルズ、クローディヌ・ロンジェ、ハーブ・アルパート、つまりA&Mレコーズ関係の音楽を聴いていた私はやはり「渋谷系」の圏域に包まれていた。バート・バカラックもね。

「渋谷系」の流れはラウンジ・ミュージックなどの流行に引き継がれていったけど、90年代後半のビーチボーイズ再評価の波は凄かった。といっても皆「Pet Sounds」を聴いていたわけだが・・・。ショーン・オヘイガン、ステレオ・ラブ、マーティン・ニューウェル、ここら辺はみんな「ペット・サウンズ」のような「トータル・アルバム」を目指していたように思う、エレクトロな、または民謡調の「ペットサウンズ」。

さてyutabou氏のヴィーナス・ペーターはこの「渋谷系」の流れでどこ辺りにいたかというとよりネオアコをベースに「マンチェスター系」の音を志向していたように思う。かなりロックだった。サイケ、ハウス・・・、プライマル・スクリームかな近いのは。

ヴォーカルのOさんはまたソウル好きを自認していたなあ。やはりグラスゴーのクラブシーンというのが重要だったということか?

いろいろ考えることはある。

動画はチェリー・レッドレーベルのFelt'Primitive Painters'。コクトー・ツインズのエリザベスとの競演。いい!

「ノーザン・ソウル」は60年代にイギリスの一部の若者がクラブのような場所で聴いていたアメリカのソウルミュージックだ、と知人に指摘を受けた。訂正します。
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