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『恋空』。読むのしんどい。

Yoshiの『Deep Loveー第一部アユの物語』の本編は読み終わった。

『恋空』に関しては(犯罪的に)読みやすいとはいえ、こりゃインターネットで読むよりケイタイで少しづつ読むものなんじゃないかな。一挙にはホントつらい。

文学を専門としている以上「ケイタイ小説」ブームをどう考えるかは一つの課題なのだが、大方の文学研究者は無視するんじゃないかな。私だってそうしたい。文学的な要素が皆無だからである。

じゃあ「文学的な要素」って何?ってことになるが、それは追々。

そもそも村上春樹は「文学」なのか、という議論はいまだ燻ってるくらいだから、Yoshiをどう思う?、と言われても、そもそもケイタイ小説の作家(?)たちが「文学」など眼中に入れてないわけだから、答えようがない。少なくとも村上はフィッツジェラルドやサリンジャーといったアメリカ文学の紹介者であり、自らアメリカの大学で日本文学を語ったりしているわけだから、少なくとも「文学」という伝統を眼中に入れている。

では『恋空』は詩なのか?、というはたまた迷惑な疑問にはどう答えるのかだが、答える必要があるのかな?

恋愛詩ということで私が最初に思い浮かぶのは17世紀のイギリスの詩人ジョン・ダン(John Donne, 1572-1631)である(http://en.wikipedia.org/wiki/John_Donne
。英語で書かれた詩の中では17世紀の「形而上詩人」と呼ばれたダンやハーバート(George Herbert,1593-1633)、マーヴェル(Andrew Marvell, 1621-1678)らの詩が圧倒的に好きだが、そこには現代詩の祖と言われるT.S.エリオットの影響もある。

単純化するとダンの恋愛詩は「神への愛」との共存、または葛藤がテーマになっていた、と思う。概ねこの時代の詩人はイギリス国教会、またはカトリック教会の牧師であったから当然だが、だからこそかなり大胆で、場合によっては神に対する冒涜と捉えられかねない世俗的な恋愛賛美が濃厚なレトリックの中で表明されていたのである。

だからこそ面白い。『恋空』で「神様が出会わせてくれたんだね」とか書いてるのを見ると、どう言えばいいのか参ってしまう。

でも想像してたより『恋空』は読ませるよ。基本構造はいっしょだが『Deep Love』よりはましかな。ケイタイのメール文化にどっぷり浸かっている世代はそれこそ等身大な「リアル」を感じるんじゃないかな。

それ自体はいいんじゃないの。
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やっぱりそうか、英国BBCラジオでリスナーが選んだクリスマスソングにザ・ポーグスの「Fairy tale of New York」が堂々一位に選ばれた。しかも嬉しいことに歌詞に汚い言葉が含まれるとしてBBCがその部分を編集(つまりカット)して流したらしい。モチ早速苦情が殺到。やってくれるねほっとした顔
http://www.barks.jp/news/?id=1000036543&m=oversea


ニューヨークで出会った男女が故郷のアイルランドを想いながらクリスマスを過ごす、そんな感じの歌詞ですよ。故クリスティ・マッコールとのデュエットになっている。汚い言葉の応酬がとても心地よく、下手すれば甘ったるいだけのラブソングが立派にパンクっぽくなる。二人とも田舎もんだし学はないわ、お金はないわ、でいい感じです。

都会で暮らしながら故郷を想う、という構図そのものが近代文学の定番なわけで、それが太宰の津軽であろうと谷川雁の水俣であってもいいわけだが、どちらにしてもパンク少年であったショーン・マッゴワンはモダニストであった。そこ辺りが同じロンドン育ちのジョン・ライドンとはちょっと違うところだ。

でも大方パンクの連中がシュール・レアリズムやダダといった芸術思潮を気に入っていたり、ジョイス好きをアピールしていたのはポスト・モダニストというよりモダニストだったからだ、と私は思う。もちろん取り巻きの連中(仕掛け人)はインテリであったろうから彼らがポストモダニストであった、ということには反対しない。

家を含む「故郷」を発見すると同時に失うのがモダニストだとすると、ポストモダニストはもはや故郷を発見も喪失もしないのだろう。

しかもモダニストは「故郷」の向こう側に「国」を透かし見たのであるから、そこには柔らかな近代文学固有のナショナリズムがある。保守の思想と言ってもよい。「故郷」が喚起する感情に人々は弱い(私もその一人であることを認める)。したがって大事なことは、というよりモダニストの倫理は、

「故郷」に決して回帰しないこと、なのである。

もちろん文字どうりにではない。イデオロギー的に、ということだ。

やはり正月が近づくと故郷の熊本を思い出す。水前寺公園、中二のとき引っ越した市境の馬の糞くさい匂い、畑、暗い夜道。

アメリカに渡ったアイルランド人が故郷想う歌にはやはり心を打たれる今日この頃である。
サブカル化。

これは自殺した江藤淳の問題意識であり、それを引き継いだ大塚英志のテーマであるが、これも間違いなく私の取り組むべきテーマである。

さて大方日本の「文学」に対する感受性は私の場合吉本隆明を経由しているので偏りはある、というか古いかもしれない。しかも90年代以降は娘ばななの時代なのだから。

吉本を安保闘争時代の左翼理論家として理解するか、いわゆる文芸批評家として理解するか、ばななの父親として理解するかは各人の勝手だが、私にとっては「詩人」である思想家であることに意味があった。

学部時代に吉本に出会った私は『共同幻想論』から柳田國男、折口信夫などの民俗学を読み漁った。恐らく左翼理論家だった吉本の「保守」の匂いはこの正統的な日本文学への「好み」(趣味)にある。それは私にも伝染したものだ。左翼運動家で親友だったSとよく議論・喧嘩した。

さて日本の詩人では金子光晴、中桐雅夫とか好きな詩人が数人いるが、やっぱり長谷川龍生に止めをさす。谷川雁や吉本に繋がる左翼系の詩人ではあるが抜群の言葉のキレ、これこそがこの詩人の生命線だったと思う。

きみも、他人も、恐山!
悲しみも、こごえる、人の世の断崖。
霧のたちこめる怨霊の空のはて。
さまよう個人主義者の自殺する空井戸。
きみの、その、覆面の下の白い顔。
きみの、その、仮面の裏の汚れた顔。
きみの覆面、きみの仮面を
はぎとり、殺してゆく
他人の覆面、他人の仮面。
きみも、他人も、恐山!
きみも、他人ものぼっていく。

この一節は初期の傑作中篇詩「恐山」からだが、どうですか、パンクでしょう? 「きみも、他人も、恐山!」のリフレインがロックというか、こりゃ「筋肉少女隊」か?

それはそうと「文学のサブカル化」というテーマは恐らく私の場合吉本親子「文学」の在り方の違いとして立てられるのではないか、と思う。ばななは私と同世代、しかも私は隆明を「父」のように慕ってきた人間であるから・・・。

長谷川龍生については:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E7%94%9F
The Undertones。もちろん'Teenage Kicks'です。



昨日はユンさんと後輩の佐藤君の合同研究会に行ってきた。ユンさんの発表は著書『暴力と和解のあいだ』(法政大学出版)を中心に、佐藤君は文学代表として北アイルランドの文化政策における「詩」の役割を巡って、というもの。文学や「詩」が文化政策の中心にある、というのがいかにも異常だが、様々な芸術形態のうち「文学」だけが突出した成果を挙げてきた南北アイルランドの現状を見れば仕方ない面がある。私も文学には随分ぬかるんでいるから責任はある。

でも北アイルランドにはパンクもあるよ、ということでアンダートーンズの登場である。フィエガル・シャーキーの声質はいわゆるデス声ではなくハイトーンなのであるが、なかなか。

来年2月に澁谷のユーロスペースで開催される「N.アイルランド・フィルム・フェスティヴァル」でなんらかのお手伝いをすることになった。70年代後半の北アイルランドパンクを取材した映画「シェル・ショック・ロック」が上演作に含まれているからだ。

ベルファーストのスティッフ・リトル・フィンガーズ、デリー/ロンドンデリーのアンダートーンズが二大巨頭だが、この前主催者から送ってもらったDVDを観てみると、けっこういろんなパンクバンドがあったことが分かる。でも路上のインタビューなんかで聞かれる北アイルランド訛りの英語は聞き取れんわ、まいった。これから字幕やら付けるんだろうけどパンクバンドの演奏シーンにしても歌詞カードがないときついよこれ、うーんちょっとしたレクチャーならできると思うが・・・。

言い訳はできんな。
渋谷系へ。



それこそ俊輔が在籍しているセルティックスの本拠地グラスゴーはネオアコ、その後のヘタウマインディーズバンドの中心地だった。当然リヴァプール同様アイルランド系移民が多いわけだが、オレンジジュースのソウル好きも「ノーザン・ソウル」というクラブ動向があったからだろう。

さて「渋谷系」もその内実は様々だと思うが、イギリスのネオアコの流れ、アメリカの60年代ポップス(ソフト・ロック、ビーチボーイズ、フレンチポップス)の流れ、それらが日本のロック・ポップス(ナイアガラ・トライアングルを巡る)と合流することで成り立っていたのではないか。

カジヒデキのBridgeは音楽的にはフリッパーズ・ギターのネオアコの部分を強調したバンドだったように思う。

スポークスマンとしての小西康陽(ex.メロン、ピチカート・ファイヴ)が影響大だったことは間違いないが、大方彼を中心とした「渋谷系」の戦略に乗せられていた私ではあるがピチカートだけは一切聴かなかった、というか思いっきり避けた。

お洒落すぎたからである。

しかしセルジオ・メンデス、ロジャー・ニコルズ、クローディヌ・ロンジェ、ハーブ・アルパート、つまりA&Mレコーズ関係の音楽を聴いていた私はやはり「渋谷系」の圏域に包まれていた。バート・バカラックもね。

「渋谷系」の流れはラウンジ・ミュージックなどの流行に引き継がれていったけど、90年代後半のビーチボーイズ再評価の波は凄かった。といっても皆「Pet Sounds」を聴いていたわけだが・・・。ショーン・オヘイガン、ステレオ・ラブ、マーティン・ニューウェル、ここら辺はみんな「ペット・サウンズ」のような「トータル・アルバム」を目指していたように思う、エレクトロな、または民謡調の「ペットサウンズ」。

さてyutabou氏のヴィーナス・ペーターはこの「渋谷系」の流れでどこ辺りにいたかというとよりネオアコをベースに「マンチェスター系」の音を志向していたように思う。かなりロックだった。サイケ、ハウス・・・、プライマル・スクリームかな近いのは。

ヴォーカルのOさんはまたソウル好きを自認していたなあ。やはりグラスゴーのクラブシーンというのが重要だったということか?

いろいろ考えることはある。

動画はチェリー・レッドレーベルのFelt'Primitive Painters'。コクトー・ツインズのエリザベスとの競演。いい!

「ノーザン・ソウル」は60年代にイギリスの一部の若者がクラブのような場所で聴いていたアメリカのソウルミュージックだ、と知人に指摘を受けた。訂正します。
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