忍者ブログ
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[08/01 くっさん]
[07/29 kuriyan]
[06/10 くっさん]
[06/10 くっさん]
[06/10 山田]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
Kussan
性別:
男性
自己紹介:
研究職です。大学にて英語講師、家庭教師、翻訳などをやってます。
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター
[3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

とは?

ノーザン・ソウルという言葉はよく聞く。イギリスで黒人音楽に影響を受けた白人のソウル・ミュージックということであろう。ということはアイリッシュ・ソウルもこのノーザン・ソウルの一種なのか?

まあ多分そんなに遠くない推測である。

Nuala O'Connorの本「Bringing it all back home: The influence of Irish music」が「アイリッシュ・ソウルを求めて」と邦訳されているところを見てもどうやらこの推測は間違ってない。

さて、オコナーの本の出だしはどうかというとこうである。

I have a theory that soul music originally came from Scotland and Ireland. ---- Van Morrison

「私にはソウルミュージックがもともとはスコットランドとアイルランドに起源を持つ、という理論を持っている」---ヴァン・モリソン

「起源」という言葉は訳としては強すぎるかもしれないが、ロック音楽界最後の大物ヴァン・モリソンの主張は大方そういうことである。それほど詳しいわけではないがヴァン・モリソンと言えばストーンズなどと同時期に活動を始めたロックバンドThemが有名であるが、ソロになってからもブルースを中心にソウル、トラッドなどにも幅広く音楽性を広げ、一部に熱狂的なファンがいるミュージシャンだ。つまり影響力がある。

一言で言えばヴァン・モリソンの理論はロックやその後のポピュラー音楽の源泉にアフリカ系アメリカ人のブルース、ジャズを置く一般のポピュラー音楽理解とは別に、または並列に、アイリッシュとスコティッシュを置く、という戦略であり、「政治」である。イングリッシュ、またはブリティッシュと言ってないところがミソではあるが、どうしてこうなるのか?

カルチュラル・スタディーズ系のポピュラー音楽研究との「政治」の違いは明らかだ。カルスタ系だとポピュラー音楽の起源がアメリカの黒人(アフリカン・アメリカン)であることは決して揺るがない。(もちろんこれにも多少の重点の置き方に違いはあろうが。)

さて具体的にオコナーはこのヴァン・モリソンの言葉を引いた上で次のように書いている。

Irish traditional music, then as now, was primarily dance music, jigs, reels, and hornpipes, played by rural working people for communal celebrations and events, such as fairs, weddings, wakes, and so on. In the case of America, Irish traditional music and song merged on the Appalachian frontier with other indigenous music to form American folk music, and further south with the music of black slaves to influence the blues.

ちょっと長いが簡単にするとこうだ。アイルランドの伝統音楽は移民とともにアメリカに渡り、アパラチア山脈辺りで(先住アメリカ人などの)土着の音楽と混ざり合い、フォークミュージックを形成し、もっと南の方で黒人奴隷たちの音楽と混ざり合ってブルースに影響を与えた、と。

カントリーやブルーグラスのような基本白人のポピュラー音楽に影響を与えたのは分かり易いが、ブルースやソウルはどうなんだろう?

この議論の流れに以前私が書いた学会のパネルがある。当然というべきかどうかは分からないが、カルスタ系のポピュラー音楽研究にはこういった議論はまずない。ヴァン・モリソンもまず出てこないし、アイルランドへの言及もほとんどない。

単純化すればカルスタの「政治」とアイルランド研究の「政治」がまるで異なった方向を向いてるからだが、ではどちらにもかかわっている私はどうすればいいのか?

実証的にというより政治的には6:4でカルスタの「政治」を私は支持する。アメリカの黒人がポピュラー音楽の原点で「よい」し、その代りアイリッシュ・アメリカンの貢献もそれなりに評価すべきである。またマージービートを生んだリヴァプールのアイルランド系移民の貢献も評価すべきである。ポール・マッカートニー、ジョン・レノンはアイリッシュ系であった。「優等生」的に思われがちだがザ・ビートルズの音楽は貧しい「不良の」アイルランド系移民が作った音楽であった。

でも6:4とか煮えきれないことを言ってるから私はどちらの「政治」からも周縁化されてしまうのかもしれないが・・・。とほほ。
PR
Amadou & Mariam,'Sou ni tile'がアマゾンから届く。
http://jp.youtube.com/watch?v=iju1_DhH2Qs

一曲目に収録されている「je pense a toi」。メロディーがどこか呪術的で忘れられない。でもアルバム、全体的にはちょっと単調かな。

こういう民族歌謡みたいなポピュラー音楽も私は好きである。だから懺悔ノートでこれまで書いてきたようなアイルランド歌謡もけっこう好きだ。でも研究でその音楽を語ることと「大好き」と居酒屋で語り合うのはまったく違う。そこには素朴な研究意欲だけではなく自らの語る場の「政治」に自覚的な批評精神が必要とされるのである。

先月だったかモウリさんの『ポピュラー音楽と資本主義』の書評会で私は「敢えて」民族歌謡を省略したことをやんわりと批判した。パンクの起源に「アイルランド」が係わっていることを主張さえした。バランスを取りたかったというのもあるが、それはアイルランド協会の一員である私、言いかえればアイルランド歌謡を取り巻く「政治」に片足を突っ込んでいる責任からそうせざるをえなかった面がある。ワールドミュージックを巡る政治と言ってもいい。今回のアイルランド協会におけるアイルランド歌謡を巡るパネルで先輩のSさんがイントロでポール・ギルロイからの引用をしていたのも象徴的である。モウリさんはそのギルロイのお弟子さんの一人だからである。

私の言動は単なるバランス感覚なのかもしれないが、それ以上にそれぞれの学問、学会の「政治」に敏感だからでもある。

学問が一生懸命に研究する人には公平である、というのは一面的なことであって、大方の昔かたぎの学者さんは職が安定すると批評精神を忘れ去っていく。キツイからである。自分の関心あることを思う存分研究したい、という気持ちは誰でも一緒だが、それが可能となった「政治」に批評的であることは学者の責任である。

さて12月に日本ポピュラー音楽学会で発表する準備を始めなければならない。すでに私は「パンク」に関して発表することになっていて、日本のテクノで発表する人の枠に入れられてしまった。このポピュラー音楽研究の枠の設定にも強烈な「政治」の匂いがする。「パンク」が特権的な記号として機能する枠であることが容易に想像できるからだ。じゃあ私はどうするのか?

答えは発表の最後でワールドミュージックを評価してみせる、これである。これは私が天性の天邪鬼だからそうする訳ではない。

それが私のギリギリの「批評」なのである。
ぜんぜん懺悔してないじゃん、って言われそう冷や汗

怒りの発露にこういったメディアを利用するのはよくないとは思う。

はっきりしておかないといけないのは「アイルランド歌謡」というものがポピュラー音楽研究としてアイルランドの大学レベルで可能になったのは、とくにSean O'Riadaを筆頭とした当時の学者兼ミュージシャンらがアイルランド国中の知られざるものも含めて体系化、楽譜化したことに直接な起源がある。それが大体70年代のこと。その頃のアイルランド(南の共和国のことね)の政治体制、また文化教育庁がこの調査、体系化の経済的な支援をしていた、と考えるのが自然である。経済的な支援はすなわちイデオロギー的な支援でもあることを見逃さないことが重要だ。当時のアイルランド共和国の反動的な政治・経済体制は疑う余地なく「カトリック・ナショナリスト」体制である。

したがってそもそも我々が「アイルランド歌謡」をリスナーとして聴く機会が増えたのも、学者としてそれを論じることが可能になったのもその文化ナショナリズムのおかげなのであり、その政治経済的、美学的なもろもろの総体を「政治」と私が呼んだものなのである。

要するに無意識に我々の欲望を無意識に操作するこの「政治」に安易に乗っかってはいけない、ということである。私がいらついたのはパネリストの皆さんが「無邪気に」知識を披瀝し、また語っていたからなのである。つまり「文化ナショナリズム」に端を発する「政治」圏域に包まれながら、そのことに無自覚だった。

無意識に、というのがポイントであって本人が善意でやっていたとしても(私は信じる気満々である)、この無意識の「政治」に無自覚だったとすれば、やはり咎なしではすまされない。倫理観に欠けると言わざるをえないのではないか。

さて司会と発表一人二役をこなしたS氏の発表(手短に)。

「歌のアイルランド化についてーーー'Shenandoah'を手がかりに」
発表はヴァン・モリソンの「シェナンドア」をCDで聴くところから始まった。最近私もよく聴く北アイルランド出身のシンガーである。この曲はチーフタンズのリーダーであるパディ・モローニの企画でもともとアメリカにあったシャンティー(水夫の歌)であった「シェナンドア」をヴァン・モリソンに委託して歌ってもらったもののようである。『ロング・ジャーニー・ホーム』というのがその企画アルバムだそうで、演奏にはチーフタンズのメンバーが加わっている。

さてS氏によると明らかにアイルランドを賛美するためのアルバムにこのおそらくアメリカ起源のシャンティーが選ばれているのは何故か、という問いが浮かぶ。ここまでのS氏の手順は(えらそうで申し訳ないが)間違ってなかったように思う。しかし疑問は呈するが、最後まで「アイルランド歌謡」を巡る「政治」、とくにその起源である文化ナショナリズムを断罪することはなかった。オープンエンディングである。しかも始末が悪いのは世界のポピュラー音楽の起源にアイリッシュ系アメリカ人をアフリカ系アメリカ人との競作であるかのように論じた批評家の文章を紹介しながらその浅ましい企てを断罪しなかったことである。

「文化ナショナリズム」を批判することは今回のテーマではなかった、と氏は打ち上げで語ってくれたが、そもそも今回のパネルが日本で、しかも学会という責任ある場所で可能になったのは「文化ナショナリズム」がそもそも起源にあって、学問レベルでもアイルランドの歌謡を論じられるような体制がアイルランドではもちろん、日本においても確立されつつあるからである。S氏がこの無意識の「政治」に無邪気に包まれている、言いかえれば加担してしまっている、と感じられたのは氏が議論をいい所まで行っておきながらオープン・エンディングにしてしまったからなのだ。

ヴァン・モリソンが素晴らしい歌手であることを私は否定していない。チーフタンズについてもそうである。しかしこの「政治」に自覚的にか、無自覚的にかは分からないが、これらのミュージシャンが係わってしまったことは批判されてしかるべきである、と私は考える。

そんなに批判したいんだったら自分で論文やら口頭発表とかでばんばんやればいいじゃない、と言われたが、日本アイルランド協会の主流派がこの「政治」に連座している(と私には見える)場所でどしどしやるのはどれだけ大変なことか、氏はぜんぜん分かっていない。私が去年「パンク」という最もエスタブリッシュメントから遠い(そうじゃない学会もあるが)題材に選んだのはこの「政治」に敏感だったからだし、そういうわけでささやかな抵抗は試みているのである。単にスティッフ・リトル・フィンガーズが好きだから題材にしたのではない。この巨大な「政治」に飲み込まれないため、抵抗するための戦略だった(もちろんこの戦略が間違っている可能性は否定しない)。

それを氏は完全に誤解した、今も誤解している。

世界のポピュラー音楽によるアイルランド化は「白人中心主義」という言説を広めかねない。だからこそやはり氏は発表で決然とこの流れを断罪すべきだった。

批判するのに名前を名乗らないのは卑怯だ、というのであればいつでも名乗ります。
暴風雨のち曇り。

やりすぎた、昨日。
会場がひいてしまった上にKY扱いに、とほほ・・・。

さらっと批判はすればいいのだが、ちょっと挑発しすぎた。
パネルを統括していたSさんはもう相当付き合いが長く、教授まで上り詰めた人だ。パネリストのM氏は前日にちょっとあった民謡系音楽研究者。全部で四人だった。

正論だと言ってくれた人はいるにはいたが、私の挑発的な態度が相当場の雰囲気を悪くしてしまった。

「意見は正当なものだったが、言い方というものがある」ときつくお叱りを受けた。

大塚による三人の自殺した作家論が微妙に私の気分をダウナーにしていたことも要因にある。正直気分が優れなかった。

私がしたかった反論をノートしておく(これからのために)。

テーマ研究「アイルランド研究におけるソングとバラッドの可能性についてーーーソングとバラッドの中のアイルランド像を中心にーーー」

パネル全体はアイルランドの「民謡」とされているものが本当にそうなのかを巡っていて、大方がスコットランド、イングランド、アメリカなどとの「合作」(流用、アダプテーション)だったということを具体的なバラッドなどの成立を言葉の分析とともに歴史的に辿っていく、というものであった。

問題は大方の結論が「起源はアイルランドとは言えず、曖昧である」ということだったと思う。これにも突っ込みを入れると大体そんなもんじゃないの、ってことぐらい誰でも予感できる。

さてM氏の発表。
「Danny Boyはいかにして戦時・母子歌謡となったのかーーー歌謡における神話(ディスコース)形成の事例研究」
大方私も騙されていた(この点は感謝する)ように「ダニーボーイ」はアイルランド歌謡ではなくほぼアメリカで成立したものだそうである。そこまではよい。「はじめに」で「ディスコースは歌詞そのものからは説明できない」というテーゼが提示され、アイルランドの歌謡だと多くの人が信じた「ダニーボーイ」がまず歌詞から決定不能性を示され、次に成立過程の歴史考察によって否定される。

さて結論にて再び「ディスコースは歌詞そのものからは説明できない」とし、「生活感情に根ざした体験から物語が編み出される」とする。また「ダニーボーイはアイルランドの歌謡である」という彼が言うディスコース=物語=神話生成のからくりが「ひとはなぜ神話的思考を欲するのか?」という疑問形でM氏によって閉じられていた。

ちょっと端折った部分はあるが大体こうだったと思う。さて私ではなくともその「ディスコース」って何ですか、と問いたくもなるが、それは置いといて、最後の「生活感情に根ざした体験」がディスコース=神話を生成するという根拠のない結論に私は激しく苛立つ。このディスコースが生成されるに至るその場のポリティックス(政治経済、人の流れ、出版関係、学者、ミュージシャン、リスナー)こそがフーコー的に言えばディスコースを生むのであって、「生活感情に根ざした体験」という訳の分からないものから生まれるのではない、これが私の大体の反論(その場で言えなかった箇所もある、それは陳謝)。もう一ついえばすでに学会で発表しているM氏自体が好むと好まざるにかかわらず、このぽポリティックスの場に当事者として深く関与してしまっている。

それが最大の問題!

このことを氏はまったく理解してくれようとはしなかった。もちろん私の挑発的な態度も悪かったが、多分冷静に話しても聞いてはくれないだろうなあ。みんながアイルランド歌謡と思っていたのは実はそうじゃないよーんとそれだけが言いたかったのか、それも疑問。

(2)に続く

「仮構と倫理ーー大江健三郎と三人の自死者について」。

『サブカルチャー文学論』の中でも出色の出来です。とても自称「オタク」代表の漫画原作者の文章とは思えない。

またまた大塚英志です。

かなりのページ数のエッセイであるが「三人の自死者」とは映画俳優・監督の伊丹十三、作家の三島由紀夫、文芸批評家の江藤淳のことである。

『文学論』自体が江藤淳の勧めで始めた文学評論だったようであり、その意味ではこの戦後日本文学の重鎮に対する感謝の念のようなものが全体に漂っている。実際のところ一漫画原作者と日本文学界の重鎮との邂逅というのはいつかはありえたかもしれないと思っていたが、すでに起こっていたのである。江藤淳の自殺(1999年)という衝撃の出来事が大塚の「文芸批評」という異種格闘技のような執筆を後押ししたことも確かであろう。

それでも大塚の批評の矛先が江藤淳の「文学」にまで鋭く向けられているのがすごい、というか緊張感がみなぎる。一旦は江藤の思想、「仮構」(それが小説世界であれ、なんであれ)と「現実」(それが戦後であれ、なんであれ)の間に生まれる軋轢というか齟齬に対して目をつむったり、割り切ってはならない、というどちらかというとありふれた思想をそのまま肯定する。しかし戦後日本のリアリティーの質が(大塚は1971年ごろを境に)決定的に変わってからはこの江藤の思想を全うすることが実に困難になった、と言う。具体的には近代以来続いてきたリアリズムに基礎を置く「小説」というものの不可能性が決定的に顕わになった、ということだ。

大塚は言葉を選んでおり、その点慎重だがありていに言えば「ポストモダン」ということになる。

大塚の議論を要約してしまうと仮構の「私」と現実世界の「私」の間にある齟齬を割り切ることなく「屈託」した三人の表現者が自殺に追い込まれ、「現実」を「文学」としてしてしか認識せず、両者の齟齬に「屈託」がない大江が生き残っていることに違和感を感じる、というものである。

映画監督の伊丹が三人の中に挙げられているところから「文学」と映像文化、ひいては「消費文化」に大塚が区別を設けていないところに「あーここまで批評は来たか」という感想を持つが、どちらにしても齟齬を生き抜くことが漫画家にとっても、映画作家にとっても、また小説家にとっても「倫理」だということだ。

ただし大塚は江藤の欺瞞にも目をつぶらない。江藤がアメリカ留学から帰国してしばらく経った頃、資産家である父親の信用にすがって金融機関から金を借りるエピソードが紹介されている。

「「個」として一定のルールの許にフェアーに「適者生存」を争っていくという江藤のアメリカで見出した原理は実はここで放棄されているのである。それ自体が仮構であることは議論の余地がないにしても、保守思想の拠り所である「大地と過去」の上に構成された「日本」に「拘束されること」と、父の信用で金を借りることが曖昧なままに混同されている。些細なことだが、ぼくはここに江藤、もしくは日本の保守思想の「弱さ」を見るのであり、それは柳田のいう「束縛」も、柳田家の養子となって夫人の閨閥に入る実際的な側面があったことを考え合わせる時、やはり江藤個人の問題にとどまることではない。「現実」に束縛されることが既得権の継承を現世的には意味し、しかし、「血縁」や「伝統」に束縛されることだとそれを言い換えるところに保守思想の隘路がやはりある。」(pp.655-656)

柳田國男まで出てきて文脈が分かり辛いかもしれないが、ここで大塚は日本の近代以降の「文学」のあり方を一刀両断にしてしまう。「既得権益」(資産家の家族にぶらさがること)を「伝統」に接木して「文学」の正統性を主張することの詐術が端的に断罪されている、と言ってよい。

私も柳田民俗学には相当お世話になったことを白状しておくが、大塚の議論には説得力があると言わざるを得ない。それが大方のサブカルチャー側からの「文学」への異議申し立てではあるとしても。江藤や柳田國男だけではなく、三島に対しても厳しい大塚ではあるが、もっと性質が悪いのが大江健三郎だというのが本論の主張である。必ずしも「表現」や「仮構」構築そのものを否定しているわけではない。モダニスト江藤淳の自己矛盾に陥りながらも現実と仮構の齟齬にのたうつ姿はやはり胸を打つ。

「仮構」に魅入られながらもその欲望をどうにか制御しようとした三人が自殺に終わったことはなおさら痛ましい。

個人的には三島の小説を大学に入る前後に熱中して読んだ私がおり、ほぼ10年前ほど前に大江の小説もかなり真剣に読んだ。私が彼らの「文学」を文学たらしめる巧妙なレトリックにいささかでもひっかっかっていたことは認めなければならない。「文学」の外側にはその詐術を見抜く感受性が育っていた、ということにちょっとした眩暈を感じている。
忍者ブログ [PR]