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「ゲッツ」のダンディーではもちろんない。

歴史上の「ダンディー」(dandy)についての研究書は大変少ないものの、一般に我々が生きている消費社会で文学に出会うのは読書を通してというよりもライフスタイルの偉大な先輩としてである。我々は過去の詩人、小説家、画家などに雑誌の特集記事などを通して出会う。夏目漱石などの近代の文人たちもまたダンディーの見本として、時に「メランコリー」のポーズとともに雑誌に採りあげられることが多い。小説や詩が詳細に論じられることはなく、文人の生き方そのもの、その審美的なファッション感覚や特異な立ち居振る舞いが大衆紙では感嘆の対象となっている。もちろん作品の価値を云々する文芸誌はあるにはあるが、専門家を含めた一部の者にしか読まれておらず、敷居が高い。

歴史的なダンディーとしては「伊達男ブランメル」 "Beau Brummell" とオスカーワイルド、ダンディーを論じてもいるフランスの詩人ボードレールを挙げれば十分であろうか。詳しくはWikipediaを参照。

http://en.wikipedia.org/wiki/Dandy

消費社会でいかに文学(というより文人)が記号として社会に発信されているかの例。

joyce.gif

 

 

 

 

 

 IfIShould.jpg

 

 

 

 

上の写真はジェームズ・ジョイスの晩年のものだが、山高帽、ステッキ、左手のもたれ方、視線の方向、など当時の写真撮影の制約や要望というものがあっただろうが、ジョイスの「スタイル」はやはり20世紀初頭を生きていた芸術家に特有なダンディーである。ポーグス(The Pogues)は言わずと知れたパンクとアイルランド伝統音楽をミックスしたバンドであり、アイルランドのみならず世界のポピュラー音楽においても重要なグループである。ポーグスはロンドン生まれのアイルランド移民たちが作ったバンドであり、彼らの祖国アイルランドに思いをはせてジョイスに至ったのであろう。この一枚はシングルで、ジョイスの短編集『ダブリン市民』に収録されている「恩寵」('Grace') に引っ掛けて書かれた曲のようだ。「引っ掛けて」というのはちょっと意地悪な言い方であるが、彼らがジョイスの文学作品を好んで読んでいたとしても、この曲、この歌はいわゆる「文学」には属さないからである。ジャケットのコラージュが示すように、ポピュラー消費文化はまずもって芸術家や文人のダンディズムこそ採り入れる。等身大の人間ジョイスというよりも視覚的な記号としてのジョイスに意味があるのである。

大方19世紀末から20世紀初頭のモダニストたちに特有なダンディズムは新興中産階級(商人、銀行家、株取引に係わる者たち)への嫌悪、群集(mob)としての「大衆」からの自らの差異化、そういった表現になっていたと思う。つまり社会に頓着しない超然とした姿勢、生き方。それを大衆消費文化は誰にでも実践できるようにマニュアル化し、雑誌で特集などして世に広めた。

「ヘミングウェイという生き方」なんてのはよくある特集記事だ。

芸術をではなく、芸術家のスタイルを模倣する、それが多くの場合、つまり文化資本の少ない家庭に生まれた人たちが文学や美術、つまり芸術と出会う出会い方である。それがいいことかどうかは分からないが、そうなのだ。本気で文学に向き合うことになった私などは超マイノリティー。でも入り口はジョイスやコクトー、ボードレールの「かっこよさ」だった。

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