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研究職です。大学にて英語講師、家庭教師、翻訳などをやってます。
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Lonesome Strings with 中村まり。

3部にわたって繰り広げられたライヴ、軽く衝撃を受けました。

中村まりさんは30歳くらいのまだ若いシンガーソングライター。アメリカのオハイオ州で4年ほど若いときに過ごしていただけあって英語の発音が素晴らしいのと、その声の良さ。多分20世紀初頭か、それ以上古いアメリカのトラッド、カントリー、ブルーズをベースにオリジナルを作って歌っている人なのだが、ホント若いのに凄いなと思いました。

ちょっと曲と声がイギリスのトラッドバンドFairport Conventionを思わせたりもするが、サンディー・デニーより癖が無く、その上もっと古びた声色である。

特に 'Glow to the sun' を試聴してみてください。
http://movingon.jp/contents/mule/nakamura/

第3部でロンサムとジョイントして歌った'Glow to the sun'、それにビートルズの'Mother Nature's Son'は感泣モノでした。

ロンサムはインディーズでアルバムを出しているようだが、とにかく演奏が老練していて、ほんとにうまくて味がある。こちらもChalie Pattonのブルーズとかボサノヴァとか、とにかく世界中のポピュラー音楽をフレッシュなアレンジで聴かせてくれる。楽器もバンジョー、スチールギター、ウッドベース、ウクレレ、ギター(エレキ、アコースティック)など幅広い。'African Marketplace'が聴けなかったのは残念。

ロンサムの公式ホームページ
 http://www.linkclub.or.jp/~skri/ue.html

ヒットチャートに上ってくるようなバンドではないが地道にやりたい音楽に情熱を注いでいる感じ。多分好きでもない音楽を演奏して生計を立てているのだと思うが、その分このバンドで思う存分好きな音楽を追求する、そういう人たちなのだろう。

私の知らないポピュラー音楽に出会わせてくれてクリサブさん、ありがとう。僕の頭の中でもう一回「ポピュラー音楽」とは何か、という素朴な問題を再検討する必要がありそうだ。
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stifflittlefingers.jpg

日時:6月23日(土)午後3時より
会場:立教大学 13号館 会議室 (会場にご注意下さい)
「都市ベルファーストとパンク
——Tara Westの'Fodder'を読む」
九谷浩之

 第二次世界大戦後のベルファーストの住宅事情と宗派対立を背景として、1970年代の「騒動」の時期から90年代のグローバル化時代へと変遷する都市を'Fodder'に登場する母親(カウンターカルチャーを代表する第一世代パンク)と息子(第二世代パンク)の物語から浮き彫りにする。本論では消費文化としてのパンクがいかにしてベルファーストに発生して変貌を遂げていくかに注目し、1998年の「聖金曜日合意」以降に予想される「アノミー」の諸相を確認してみたい。優勢な宗派対立の記号の下で消費社会のモノ=記号の社会論理がどれくらい「騒動」に対立し、寄与していたのか、それを測定するのも課題の一つである。

当初の要旨とは少し重点がずれてしまった。でも北アイルランドの研究者に消費社会論がほとんどないことに違和感をずっともっていたので、思い切ってやってみたいと思う。

歴史学的な研究、政治学的な研究が優勢なのはしょうがないが、それらを補完するような議論になれば幸いである。

最近のベルファーストの青少年に蔓延している自殺はとてもショッキングであり、それは事実上和平がなされた後だからこそ深刻なのである。「紛争」のトラウマだけで説明できるものとは思われない。

とくに北ベルファーストのアードイン地区の自殺率の高さに注目する。以下はこの問題に取り組んだサイト。
http://www.fotoco.dk/flash/ireland/UK/indexUK.php

そういうわけであまり音楽の話にはならないかもしれません。

1時間半から2時間はしゃべると思うのでお気軽にどうぞ。
「くうねるあそぶ」の糸井重里は文学詩人では決してありえないが、それは別に恥ではない。

が、ハイデガーがこっそりしたためた詩は読めたものではないものの、「詩」の重要性を認めていた一級の哲学者であった。

これは声を大にして言っておきたいが、アガンベンはいまや死語であるロマンス語(フランス語とスペイン語の祖先)を勉強して近代詩の原型であるトルバドールと、彼らに学んだダンテの詩を研究することでハイデガーの弟子なのであった。

社会科学の文化研究者がアガンベンを引用するところを聞いたり、読んだりするといらいらする。あなたはダンテの『神曲』を原文にしろ、日本語訳にしろ読んだことがあるんですか、と。

アガンベンの学識の高さ(古典力の高さ)はデリダなどとは違って努力と苦労の賜物である。なにせ、初期の文学論文集『スタンツェ』に収められたボードレール論など悲惨極まりない。明らかに議論が錯綜していて、壊れている。でもそういう苦労を長年重ねて初めて『ホモ・サケル』や『中身のない人間』という名著を記すことができた。

べつに古典ギリシャ語やラテン語、ロマンス語が読めるからえらいと言っているわけではない。そうではなくて私の後輩でダンテの『神曲』の原文を10年計画で読んでいるやつがいるが、そういう者こそアガンベンやハイデガーが必要なのである。

そういう悠長なことやれるのは生活に余裕があるからだ、なんてアホなこと言うなかれ。後輩は年々生活が苦しくなっているのだ。

私だって風呂付きに住めるようになったのは35歳からだ。

アガンベンを引用するのはミルトンの『失楽園』かジョイスの『ユリシーズ』を原文で十分に読めるようになってからにしてもらいたい。そうじゃなかったら侮辱ですよ、ホント。

「詩」が終わっていることを認めたうえで、私はそれでも「詩」への畏怖を促したい、世の中に。
sinead-photo1.jpg
Sinead O'Connor。

90年代お騒がせロック歌手の巨星。

当時は全然興味なかったし、今でも音楽的には好みではない。
が、である。噂のアメリカの音楽番組'Saturday Night Live'での反カトリック的パフォーマンス、その少しあとのBob Dylan関連のコンサート、これ見るとやっぱり震えがくる。

Sinead O'Connor, 'War'。
http://www.youtube.com/watch?v=Owa_CFBAWpw
レゲエの神様Bob Marleyの同曲のカヴァーアカペラなのだが、当時のオコナーは子供に対するカトリック聖職者の性的な虐待に怒っていた。

Children, Children, Fight!
ここまでは分かるんだが、その後

We have confidence in a victory of good over evil. Fight the real enermy.
ここに至って前教皇パウロ3世の写真を破っている。

アメリカはプロテスタントが多い国だから「何のこっちゃ」みたいな反応だったのではないかと思うが、歌い終わったあとのスタジオに漲る張り詰めた静寂が怖い。

ボブ・ディランコンサートでのオコナーは次の動画の最後の方。
http://www.youtube.com/watch?v=Is8bUujGvLg
歓声と野次の洪水の中、オコナーは曲目を変えてやはりアカペラで「War」を熱唱。

ちとかっこいいぞ、こいつ。

彼女の故郷の「アイルランド問題」的にも物議を醸しまくりだが、サタデーナイトライヴ以降世界中のカトリック教徒を敵に回してしまった。

個人的には「Jerusalem」が好き。
http://www.youtube.com/watch?v=YLBhlRo4-rI

上のスキャンダル以降歌手活動を辞めて、マリア信仰系教団で主に活動しているオコナーだけど、また歌ってほしいね、ほんとに。音楽的には違うが、彼女はパンクですよ。
diwan_2.jpg
「ワールドミュージック」がちょっとした流行となったこと(長文ごめん)。

「セゾングループ」の「モノから文化へ」の標語とともに日本全体がいわゆる「文化」的なものに巨大な投資を始めた時代である。

それが80年代の終わり。

もちろんそれ以前から『ミュージックマガジン』はアフリカやアジアのポピュラー音楽を紹介してはいたのだが、基本路線は黒人ルーツ音楽(ブルースなど)を巡っていたと思う。ロックももちろん採り上げていたと思うがそれでも黒人ルーツ音楽との関連で、ということではなかっただろうか。

70年代末のパンクは80年代に入ると急速に「おしゃれ化」しMTVの登場と相まって、髪型、服装、などとパッケージされて大量に供給された。

それが「ニューウェーヴ」だったととりあえず考えておこう。

そのうち主流はThe PoliceやU2のようにスーパーロックグループに成長してゆく。私を含めたこのようなあからさまな商業主義が嫌いな者には「インディーズ」という隠れ蓑が提供されていた。Rough Trade, Cherry Red, 4AD, Factoryといった並みいる「優良」インディーレーベルが乱立した。日本でもちょっと遅れたとはいえ「ナゴムレコード」を中心にしてインディーズブームがやってくる(奥田民夫もこれが出発点)。

日本にだけ視線を限定すれば80年代後半はいわゆる「バブル期」だったので、ほんとにマイナーな英米のインディーズバンドでさえもがライヴをしに日本に来れた時代だった。

さて「ワールドミュージック」だが私から見るとそれは「差異表示記号」の最終兵器であった。敷居が高そうに見えること、ポピュラー音楽の「原点」であるという漠然としたその「権威感」(authenticity)、それら全てが日本を含めた高度消費社会において急速に「産業化」されていくポピュラー音楽への「異議申し立て」のように感じられたであろう。それとともに「オレは他の連中とは違う」という自意識も満足させられる。それも一種の贅沢である。

したがってそれまではアフリカやアジアの国営のレコード会社がほぼ現地ミュージシャンのパトロンとなっていたのが、「ワールドミュージック」ブーム到来以降大々的に商業ベースに乗るようになった。国営のレコード会社はそれまでの音源の売買によってそれなりに儲けたのではないかと想像するが、実質的にも表面的にもそれからは欧米、日本の音楽文化企業が出資するようになったのではなかろうか?

アメリカのPutmayoのことをここで思い出すのだが、やはり「ワールドミュージック」もパンクロック同様「おしゃれ」なものとして売り出されていく過程が見える。「ワールドミュージック」の場合はそこに、エコロジーという付加価値が加わる。

そうなるともう我々の住むグローバル化時代の論理である。

自由競争、環境保護、etc.

今日はパンクとワールドミュージックの同列化として、イギリスのThe Clashの名曲'Rock the Casbah'とアルジェリアのRachid Tahaの'Rock el Casbah'を紹介する。オリジナルはクラッシュ。
The Clash, 'Rock the Casbah'
http://www.youtube.com/watch?v=OAkfHShATKY
Rachid Taha, 'Rock el Casbah'
http://www.youtube.com/watch?v=7DbFYsi9iSg

もちろんクラッシュのオリジナルは題材をアルジェリアの「貧困地区」("casbah")にとっているのでタハがカヴァーしてることに違和感はない。

というか、どっちもかっこいい!
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