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とハードボイルド・ワンダーランド」

秋休み(体育祭、学園祭)を利用して(上)巻読了寸前まできた。

大塚英志は村上春樹を論じるに当たって「評価する・しない」にはことさら興味を示していないし、文学界に批判的とはいっても個々の作家はちゃんと読んでいる。村上春樹にしても村上龍に対するほどの悪口は言っていないしね。

ただ春樹をビックリマンチョコと並べて論じるくらい自由なところから書いている。日本文学者ではそうもいくまいよ。

単純に言って、まだ(上)巻だけど、面白いよ。多分私が読んでこなかった理由は最初に手にした本『なんたらのピンボール』に挫折したからもあるが、時代が悪かった、というか学部時代のバブル期という時代環境にあったように思う。漫画の「ハートカクテル」が例に浮かぶが、カフェバーとかそういうお洒落なものを忌避したい気分が濃厚であった。

ピンボール・ジャック・ダニエルのウィスキー(ちょっと学部生が飲むには高級だった)、クアーズ、ロレックス、等やたらとお洒落で(?)高級そうな固有名詞が村上春樹の小説には頻繁に出てくる。なんとも浮世離れしたヤングエリートのお遊びだな、というのが当時の感想。

つまりバブルの時代にあまりにもマッチしていた。

アメリカ文学への傾倒というか利用の仕方も気に食わなかった。フィッツジェラルドにサリンジャー。どんな本が好きですかと聞かれて『ライ麦畑で捕まえて』と言う当時の大学生の軽薄さが疎ましかった。今でも『ライ麦』、『偉大なるギャツビー』、どちらも大した小説だとは思わない。

学部時代に読まされた(多くは翻訳だが)アメリカ文学の中ではアンブローズ・ビアスとかフォークナーはけっこう気に入っていた。トウェインもまあまあ、ユージン・オニール、テネシー・ウィリアムズの演劇はだめだった。オニールを専門にして米文学史を教えていたK教授はなんでも自分の劇団を持ち、自宅敷地内に芝居小屋を持っているという話だったが、なんとも酔狂が過ぎるな、と思った記憶がある。誰がオニールの芝居を観にいったりするものか、と。

ヘミングウェーなど問題外である(多分現在でも)。

何が言いたいかといえば単純。アメリカ文学を彩る作家たちの片仮名固有名詞は日本のバブル期を彩る舶来品(古っ!)のブランド名と同様、バブルの軽薄な風潮にあまりにもマッチしていた、ということである。

でも今は大人になったせいかどうかは分からぬが春樹を面白く読めそうな気がしている。気になるのは大塚が指摘した春樹の著作に表れている「歴史から離脱」したいというその性格である。大塚は村上の脱歴史の傾向や仮想現実の小説世界を全共闘時代を経た世代の「転向」の問題だと指摘するが、マルクス主義から一気にラブクラフトらのオカルト世界に跳躍することができるのだろうか。そういう人がいるにはいること、特にサブカル(漫画、アニメ)にはいることは承知している。

しかし、である・・・(続く)
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