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書きづらいことではあるが、

私には「アート」の存在意義がよく分からない。

よく飲み屋でいわゆる「アーティスト」って何者だろう、という話になる。結論的には芸術家と「そうでない人」の「中間」ということになる。

では「そうでない人」って何?

単なる読者・視聴者を除外するとすれば芸術家ほどの独創性(作家性)はないが素人よりは才能がある人、ということになろう。

さてさてその「才能」とはどんなもの?

剽窃する才能、オリジナルをパロディーする才能、コラージュする才能、そんな感じだろう。

そもそもポピュラー文化作家(作曲家、作詞家、小説家)が「オリジナル」を主張できるとは到底思えないが、そうはいってもその人たちにも生活がある。つまり著作権の問題があるわけだ。

ちょっと脱線したが、現代美術で言う「アート」が上で述べたように「芸術」未満、「そうでない」以上であるとしても、やはり現代美術で区分される以上、それらの中間と言うよりも「芸術」に限りなく近い、ということになろう。

「前衛」は芸術においても政治においてもおおかた20世紀20年代くらいまでのモダニストの領分であった。ドイツの文学で言えばブレヒトが典型的だが、前衛芸術家でなおかつ前衛政治思想家(マルクス主義者)といいうケースが多いのである。

はっきりしておきたいのは前衛芸術家にしろ前衛政治思想家にしろ、ほとんどはブルジョア階級出身だった、ということだろう。

さて私がよく分からないのは「アート」が芸術ではないと主張されるとき、それではポピュラー文化なのかという問いにどう答えるのか、という点である。

私の見解が正しければ「アート」は大衆消費社会が到来したころに形成された新中産階層の芸術運動である。技術的にもモダニスト芸術家の模倣に思えて仕方がないときがある、正直な話。

なんというか同じ中間層でもテレビドラマにうつつを抜かす人々とは違う「エリート」の臭いがやっぱりしてしまうのだ。

その「アート」の人たちが政治を語るとき、やっぱり在りし日のモダニスト芸術家を思い出す。基本姿勢があまりかわらないからだ。

私が分からないのはそのグラグラ感、芸術でもポピュラー文化でもないことからくるグラグラ感とどう向き合っているのか、またどう向き合っていいのか、である。

すみません、ちょっと真面目に書いちゃいました。

久しぶりのうアップ。誰も読んでくれないだろうなあ。
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こっちがいいよ
久しぶりの更新ですね。
mixiの日記より、ブログのほうがいいですよ。
頻繁に更新したらいいのに。

よかったらリンク変更よろしくです。
http://www.geocities.co.jp/todayspiece/
kuriyan URL 2009/07/29(Wed)21:52:11 編集
まじっすか?
ありがとうございます。がんばります!
くっさん 2009/08/01(Sat)00:19:10 編集
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