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研究職です。大学にて英語講師、家庭教師、翻訳などをやってます。
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フリッパーズ・ギター。

'Good Bye, Pastels Badges'


ちゃんとパステルズのバッヂと歌っている。歌詞はイギリスのネオアコ/ギターポップバンドの歌詞からの引用だったり、レーベル名だったり、パス ティーシュ(モザイク)といった感じであるが、

サビ、

take, take off the badges from our anoraks
put, put them into the drawers
and we swear we'll never forget that feeling
so goodbye, goodbye

で「アノラック」(anorak)に言及している。

そこで「アノラック」って何ってを少々。

日本ではこの呼び名は一般的ではなくて「パーカ」とか「パーカー」とか呼ばれるボタンのない頭からすっぽり着るフードの付いた防寒着のことであ る。「アノラック」の語源はアラスカのイヌイット族の言葉かららしい。イヌイット族が「アノラック」いやパーカーの原型となる防寒着を着ていたからだ。

でも「アノラック」はイギリスでは鉄道オタク(Trainspotter) を連想させる言葉であり、ファッションでもあるそうだ。つまり「人とは違うことに関心を持ち、異常に細かい点に執着する」という侮蔑的なニュアンスがあるそうである。

日本だけではないのだなあ、鉄道オタクは。まあイギリスは「機関車トーマス」の生まれ故郷だから不思議はないのかもしれないが・・・。

それはそうと80年代イギリスのポストパンクはインディー・ロック/ポップと呼ばれるようになるのだけど、その関係者(ミュージシャン、ファン、 その他関係者)が好んで着ていたのがこの「アノラック」だったわけ。そこで一つ代表的なバンドを挙げろと言わせればパステルズだということになる。

80年代のインディー・ロック/ポップは90年代以降の「ブリット・ポップ」の根幹をなしていると言ってよく、つまりバカ売れしたオアシスもブラーのメンバーも「アノラック」愛用者である(であった?)。

さて、フリッパーズのサビの解釈だけど、

「お気に入りのアノラックに着けていたパステルズのバッヂを外して、箪笥の引出しにしまってしまえ」と自らに歌っているわけだから、音楽オタク的なインディー・ロック/ポップ好きの自分を卒業するよ、という決意に聞こえる。違うかな?

でもアノラックを卒業するわけではないんだよね。

フリッパーズの展開について言えば、ファーストはアズテック・カメラそっくりのネオアコ/ギターポップだったものの、セカンド以降はマンチェスター風味が増しているし、60年代アメリカの「ソフトロック」とのパスティーシュ(モザイク)になる。

「アノラック」という言葉には(鉄道オタクやインディーズファンとの関連で)「女々しい」、「自己憐憫的な」というニュアンスも付随しているようです。

けっこう奥深い。
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言っておかなければならないと思う。

突然段ボールというバンドを知っている人はそんなに多くはないと思うけど、こういう人たちが先達としていて奥田民生のユニコーンなどが日本のポピュラー音楽界に出てこれたのだ、と。

だから、ユニコーンが好きだった人には特に伝えておかなければならない。

もともとユニコーンは80年代後半の「インディーズ・ブーム」から出てきた人だから、当然のこと突段を知っているし、影響も受けているはずである。

当然「たま」も影響を受けている。じっさいたまのランニングシャツ男石川浩司と突段は共同でレコードも作っている。

だけど、である。

「インディーズ」が週刊誌や、NHKなどでもてはやされてからというもの、私は日本のインディーズへの関心を急速に失っていった。もはやメジャーレーベルから発表されているバンドや音楽と変わらなくなっていった、からである。インディーズが一つのブランドとして市場価値を持ってしまった、ってことですね。

「インディーズ」という言葉が使われ始める以前(それはおそらくらフィン・ノーズの頃からじゃなかっただろうか?)には「自主制作」という言葉がふつうであったし、そのころのバンドは製作、流通、ライブ活動などがほとんど有志によって手作りでなされていた。音楽性も個性的だった、と思う。もちろん「たま」が個性的じゃなかった、とは言わない。

どちらにしてもその象徴的なバンドの一つが突段だったのだと思う。その音楽と歌詞を一言で言えば「変わっているけど限りなく自由」である。

私が彼らに徹底的に衝撃を受けたのは彼らのスタイルを含めた音楽の「自由さ」であった。

やはり彼らは語り継いでいかなければならないし、いろんな人に知って欲しい。音楽好きを自認する人たちには特に・・・。

早稲田大学の大学生が去年撮ったらしい突段のドキュメンタリーを見つけた。『Anvil』とはちょっと違った味わいがある。とてもいい仕事だと思う。

蔦木兄弟のお兄さんは死んでしまったが弟が突段を継続している。1978年に結成だからもう32年になる。50歳は過ぎたであろう。本人はいわゆる派遣などで働いて、腰を悪くしてしまったらしいが、

その執念に拍手を送りたいし、まだ現役なのである。

今も昔も売れることがないことは本人も自覚している。でも多くの人に聴いてもらいたい、と思って音楽を作って、人前で演奏している。

やっぱり泣きそうになる。ライブも行ったるでー!!
三池炭鉱跡には行ってみたい。

松本健一著『谷川雁・革命伝説』(河出書房新社)を読了。いい本であった。

革命家にして詩人であった戦後唯一の存在と言える谷川雁は私と同郷熊本は水俣の出身であった。だからずっと気になってはいたのである。詩作品もアンソロジーなので数篇しか読んだことないけどね。

おそらく政治思想家としては古いタイプのアナルコ・サンジカリストであり、今では色あせてしまった毛沢東主義者であろう。故にあまり過大評価できない。でも詩人としての言葉に「革命」の力が漲っていた点では戦後日本では稀有な人であったと思う。

だから詩を書くことと革命を組織(オルグ)することにまったく矛盾がなかった。三井三池炭鉱争議での敗北以来革命の拠点にするはずだった筑豊(大牟田から荒尾にかけとの地方)を捨て、詩を捨てて、上京した谷川は「ラボ教育センター」なる珍妙な団体の重役となった。この本を読むと言葉をとおして死ぬまで「革命」を諦めてなかった谷川雁に驚愕というか、畏怖の念を抱いた。「ラボ」の子供たちに独特な言語教育を施すことによって「革命」をやはり囁いていたのだ。

ウルトラナショナリズムを革命のエネルギーに転化するという夢のような政治思想を竹内好などから学んでいた、とは松本の言だが、やっぱり危険な香りがぷんぷんする。でも詩人としては断筆の決断をも含めてやはり一流である。

「この世界と数行のことばとが天秤にかけられてゆらゆらする可能性」を信じていた頃の谷川雁の言葉、それに圧倒され、「革命」へと扇動された若者が大勢いたと言う。さもありなんというか、ね。

「毛沢東」

「いなずまが愛している丘/ 夜明けのかめに

あおじろい水をくむ/ そのかおは岩石のようだ

かれの背になだれているもの/ 死刑場の雪の美しさ

きょうという日をみたし/ 溶岩のなやみをみたし

あすはまだ深みで鳴っているが/ 同士毛のみみはじっと垂れている

ひとつのこだまが投身する/ 村のかなしい人達のさけびが

そして老いぼれた木と縄が/ かすかなあらしを汲みあげるとき

ひとすじの苦しい光のように/ 同士毛は立っている」

いい詩だな、谷川雁の肉声に扇動されてみたかったよ。そうすれば革命家になれたかもしれん。ロマン派だけどね。

松本は高度成長期に入って新しい時代に入ったのが東京オリンピックの1964年だと言う。この年以来政治を語るボキャブラリーが一新されることになり、谷川は沈黙を保つことで伝説としてしか存在しなくなったそうだ。しかし学生運動の時代に再び谷川の伝説となった言葉が力を持ったことからすると、あながち大嶽秀夫などがポストモダン思想家として谷川を再評価しているのも間違いではないのかもしれない。

まあでも近代化のモニュメントとしての三池炭鉱跡には行っておきたい。廃墟としての魅力も抜群だし・・・。
とハードボイルド・ワンダーランド」

秋休み(体育祭、学園祭)を利用して(上)巻読了寸前まできた。

大塚英志は村上春樹を論じるに当たって「評価する・しない」にはことさら興味を示していないし、文学界に批判的とはいっても個々の作家はちゃんと読んでいる。村上春樹にしても村上龍に対するほどの悪口は言っていないしね。

ただ春樹をビックリマンチョコと並べて論じるくらい自由なところから書いている。日本文学者ではそうもいくまいよ。

単純に言って、まだ(上)巻だけど、面白いよ。多分私が読んでこなかった理由は最初に手にした本『なんたらのピンボール』に挫折したからもあるが、時代が悪かった、というか学部時代のバブル期という時代環境にあったように思う。漫画の「ハートカクテル」が例に浮かぶが、カフェバーとかそういうお洒落なものを忌避したい気分が濃厚であった。

ピンボール・ジャック・ダニエルのウィスキー(ちょっと学部生が飲むには高級だった)、クアーズ、ロレックス、等やたらとお洒落で(?)高級そうな固有名詞が村上春樹の小説には頻繁に出てくる。なんとも浮世離れしたヤングエリートのお遊びだな、というのが当時の感想。

つまりバブルの時代にあまりにもマッチしていた。

アメリカ文学への傾倒というか利用の仕方も気に食わなかった。フィッツジェラルドにサリンジャー。どんな本が好きですかと聞かれて『ライ麦畑で捕まえて』と言う当時の大学生の軽薄さが疎ましかった。今でも『ライ麦』、『偉大なるギャツビー』、どちらも大した小説だとは思わない。

学部時代に読まされた(多くは翻訳だが)アメリカ文学の中ではアンブローズ・ビアスとかフォークナーはけっこう気に入っていた。トウェインもまあまあ、ユージン・オニール、テネシー・ウィリアムズの演劇はだめだった。オニールを専門にして米文学史を教えていたK教授はなんでも自分の劇団を持ち、自宅敷地内に芝居小屋を持っているという話だったが、なんとも酔狂が過ぎるな、と思った記憶がある。誰がオニールの芝居を観にいったりするものか、と。

ヘミングウェーなど問題外である(多分現在でも)。

何が言いたいかといえば単純。アメリカ文学を彩る作家たちの片仮名固有名詞は日本のバブル期を彩る舶来品(古っ!)のブランド名と同様、バブルの軽薄な風潮にあまりにもマッチしていた、ということである。

でも今は大人になったせいかどうかは分からぬが春樹を面白く読めそうな気がしている。気になるのは大塚が指摘した春樹の著作に表れている「歴史から離脱」したいというその性格である。大塚は村上の脱歴史の傾向や仮想現実の小説世界を全共闘時代を経た世代の「転向」の問題だと指摘するが、マルクス主義から一気にラブクラフトらのオカルト世界に跳躍することができるのだろうか。そういう人がいるにはいること、特にサブカル(漫画、アニメ)にはいることは承知している。

しかし、である・・・(続く)

s-IMG_0856.jpg

現在デリーにいますが、今日昼にベルファーストから移動してきました。
そう北アイルランドに私はいます。

ザンビアの記憶も遠くになりにけり・・・。

涼しいというかちょっと寒いです。
ベルファースト、Shankill RoadとかArdoyne地区とか朝散策していたら、やっぱりちょっと怖かった。

写真とってたら二階の窓から怒鳴られた。まあね。

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