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研究職です。大学にて英語講師、家庭教師、翻訳などをやってます。
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暴風雨のち曇り。

やりすぎた、昨日。
会場がひいてしまった上にKY扱いに、とほほ・・・。

さらっと批判はすればいいのだが、ちょっと挑発しすぎた。
パネルを統括していたSさんはもう相当付き合いが長く、教授まで上り詰めた人だ。パネリストのM氏は前日にちょっとあった民謡系音楽研究者。全部で四人だった。

正論だと言ってくれた人はいるにはいたが、私の挑発的な態度が相当場の雰囲気を悪くしてしまった。

「意見は正当なものだったが、言い方というものがある」ときつくお叱りを受けた。

大塚による三人の自殺した作家論が微妙に私の気分をダウナーにしていたことも要因にある。正直気分が優れなかった。

私がしたかった反論をノートしておく(これからのために)。

テーマ研究「アイルランド研究におけるソングとバラッドの可能性についてーーーソングとバラッドの中のアイルランド像を中心にーーー」

パネル全体はアイルランドの「民謡」とされているものが本当にそうなのかを巡っていて、大方がスコットランド、イングランド、アメリカなどとの「合作」(流用、アダプテーション)だったということを具体的なバラッドなどの成立を言葉の分析とともに歴史的に辿っていく、というものであった。

問題は大方の結論が「起源はアイルランドとは言えず、曖昧である」ということだったと思う。これにも突っ込みを入れると大体そんなもんじゃないの、ってことぐらい誰でも予感できる。

さてM氏の発表。
「Danny Boyはいかにして戦時・母子歌謡となったのかーーー歌謡における神話(ディスコース)形成の事例研究」
大方私も騙されていた(この点は感謝する)ように「ダニーボーイ」はアイルランド歌謡ではなくほぼアメリカで成立したものだそうである。そこまではよい。「はじめに」で「ディスコースは歌詞そのものからは説明できない」というテーゼが提示され、アイルランドの歌謡だと多くの人が信じた「ダニーボーイ」がまず歌詞から決定不能性を示され、次に成立過程の歴史考察によって否定される。

さて結論にて再び「ディスコースは歌詞そのものからは説明できない」とし、「生活感情に根ざした体験から物語が編み出される」とする。また「ダニーボーイはアイルランドの歌謡である」という彼が言うディスコース=物語=神話生成のからくりが「ひとはなぜ神話的思考を欲するのか?」という疑問形でM氏によって閉じられていた。

ちょっと端折った部分はあるが大体こうだったと思う。さて私ではなくともその「ディスコース」って何ですか、と問いたくもなるが、それは置いといて、最後の「生活感情に根ざした体験」がディスコース=神話を生成するという根拠のない結論に私は激しく苛立つ。このディスコースが生成されるに至るその場のポリティックス(政治経済、人の流れ、出版関係、学者、ミュージシャン、リスナー)こそがフーコー的に言えばディスコースを生むのであって、「生活感情に根ざした体験」という訳の分からないものから生まれるのではない、これが私の大体の反論(その場で言えなかった箇所もある、それは陳謝)。もう一ついえばすでに学会で発表しているM氏自体が好むと好まざるにかかわらず、このぽポリティックスの場に当事者として深く関与してしまっている。

それが最大の問題!

このことを氏はまったく理解してくれようとはしなかった。もちろん私の挑発的な態度も悪かったが、多分冷静に話しても聞いてはくれないだろうなあ。みんながアイルランド歌謡と思っていたのは実はそうじゃないよーんとそれだけが言いたかったのか、それも疑問。

(2)に続く

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なのか?

http://www.youtube.com/watch?v=-Jgma--0WYU

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のクライマックス。そこで選ばれたのがこの「ダニー・ボーイ」という唄である。

「世界の終わり」と名付けられた仮構世界で生きる「私」と現実世界(「ハードボイルド・ワンダーランド)の「私」。この二つに分かたれた同一の「私」を繋ぐのが古ぼけた手風琴であったとすれば、そこで奏でられる「ダニー・ボーイ」は言及される多くのポピュラー音楽のなかでも特別な唄であることが分かる。

「僕はその音楽の中に街そのものの息づかいを感じることができるような気がした。僕はその街の中にあり、その街は僕の中にあった。街は僕の体の揺れにあわせて息をし、揺れていた。壁も動き、うねっていた。その壁はまるで僕自身の皮膚のように感じられた。」(「下」p.287)

いわば「世界の終わり」であるこの街が「僕・私」が創造したものに他ならないということを理解する場面である。

いわゆる「セカイ系」の先駆け的なものとしても読めるね、これ。「私」が「私」であるために世界=セカイの存亡が賭けられる。「君」という最小限の他者はいる。恋人の存在である。

さて何故「ダニー・ボーイ」なのか?おそらく多くの評論家がいろんなことを書いているだろうが、ここではこの唄が「ロンドンデリー歌曲」という北アイルランド民謡をその原曲としていることを指摘しておく。北アイルランドの州歌でもある。

ロンドンデリー(デリー)にはこの夏に行ってきた場所の一つである。「血の日曜日」で有名なように紛争が最近まで激しかった土地柄だ。でも歌詞はイギリス人が書いており、またこの唄が最も人気があるのはアメリカにおいてであるようだ。デリーは数多くの移民をアメリカに送ってきた歴史がある。デリーの中心を流れ、海へと流れ込む川沿いには移民の記念碑が建てられていたことを私は思い出す。だからアメリカに渡ったアイリッシュ・アメリカンたちの間で故郷を思い、歌われ続けた唄なのだと思う。

歌詞の内容は一般に戦場へ向かう息子を慮る親(母もしくは父)の気持ちを綴ったもののようであるが、多分日本の文脈では学校の下校時間を知らせる音楽として知られているじゃないかな。違う曲だったかなあ?どちらにしても懐かしいメロディーであり、ちょっともの哀しくも美しい旋律ではある。

さてそれはそうと現実世界の「私」を思い出しつつある「世界の終わり」の「僕」は何故自らが作り出した仮構世界に居残ることを決意したのだろうか、それがいまいち分からない。

「やみくろ」が支配する地下世界の意味もよく分からない。

でも面白かったことは認めておく。
Lonesome Strings with 中村まり。

3部にわたって繰り広げられたライヴ、軽く衝撃を受けました。

中村まりさんは30歳くらいのまだ若いシンガーソングライター。アメリカのオハイオ州で4年ほど若いときに過ごしていただけあって英語の発音が素晴らしいのと、その声の良さ。多分20世紀初頭か、それ以上古いアメリカのトラッド、カントリー、ブルーズをベースにオリジナルを作って歌っている人なのだが、ホント若いのに凄いなと思いました。

ちょっと曲と声がイギリスのトラッドバンドFairport Conventionを思わせたりもするが、サンディー・デニーより癖が無く、その上もっと古びた声色である。

特に 'Glow to the sun' を試聴してみてください。
http://movingon.jp/contents/mule/nakamura/

第3部でロンサムとジョイントして歌った'Glow to the sun'、それにビートルズの'Mother Nature's Son'は感泣モノでした。

ロンサムはインディーズでアルバムを出しているようだが、とにかく演奏が老練していて、ほんとにうまくて味がある。こちらもChalie Pattonのブルーズとかボサノヴァとか、とにかく世界中のポピュラー音楽をフレッシュなアレンジで聴かせてくれる。楽器もバンジョー、スチールギター、ウッドベース、ウクレレ、ギター(エレキ、アコースティック)など幅広い。'African Marketplace'が聴けなかったのは残念。

ロンサムの公式ホームページ
 http://www.linkclub.or.jp/~skri/ue.html

ヒットチャートに上ってくるようなバンドではないが地道にやりたい音楽に情熱を注いでいる感じ。多分好きでもない音楽を演奏して生計を立てているのだと思うが、その分このバンドで思う存分好きな音楽を追求する、そういう人たちなのだろう。

私の知らないポピュラー音楽に出会わせてくれてクリサブさん、ありがとう。僕の頭の中でもう一回「ポピュラー音楽」とは何か、という素朴な問題を再検討する必要がありそうだ。
sinead-photo1.jpg
Sinead O'Connor。

90年代お騒がせロック歌手の巨星。

当時は全然興味なかったし、今でも音楽的には好みではない。
が、である。噂のアメリカの音楽番組'Saturday Night Live'での反カトリック的パフォーマンス、その少しあとのBob Dylan関連のコンサート、これ見るとやっぱり震えがくる。

Sinead O'Connor, 'War'。
http://www.youtube.com/watch?v=Owa_CFBAWpw
レゲエの神様Bob Marleyの同曲のカヴァーアカペラなのだが、当時のオコナーは子供に対するカトリック聖職者の性的な虐待に怒っていた。

Children, Children, Fight!
ここまでは分かるんだが、その後

We have confidence in a victory of good over evil. Fight the real enermy.
ここに至って前教皇パウロ3世の写真を破っている。

アメリカはプロテスタントが多い国だから「何のこっちゃ」みたいな反応だったのではないかと思うが、歌い終わったあとのスタジオに漲る張り詰めた静寂が怖い。

ボブ・ディランコンサートでのオコナーは次の動画の最後の方。
http://www.youtube.com/watch?v=Is8bUujGvLg
歓声と野次の洪水の中、オコナーは曲目を変えてやはりアカペラで「War」を熱唱。

ちとかっこいいぞ、こいつ。

彼女の故郷の「アイルランド問題」的にも物議を醸しまくりだが、サタデーナイトライヴ以降世界中のカトリック教徒を敵に回してしまった。

個人的には「Jerusalem」が好き。
http://www.youtube.com/watch?v=YLBhlRo4-rI

上のスキャンダル以降歌手活動を辞めて、マリア信仰系教団で主に活動しているオコナーだけど、また歌ってほしいね、ほんとに。音楽的には違うが、彼女はパンクですよ。
diwan_2.jpg
「ワールドミュージック」がちょっとした流行となったこと(長文ごめん)。

「セゾングループ」の「モノから文化へ」の標語とともに日本全体がいわゆる「文化」的なものに巨大な投資を始めた時代である。

それが80年代の終わり。

もちろんそれ以前から『ミュージックマガジン』はアフリカやアジアのポピュラー音楽を紹介してはいたのだが、基本路線は黒人ルーツ音楽(ブルースなど)を巡っていたと思う。ロックももちろん採り上げていたと思うがそれでも黒人ルーツ音楽との関連で、ということではなかっただろうか。

70年代末のパンクは80年代に入ると急速に「おしゃれ化」しMTVの登場と相まって、髪型、服装、などとパッケージされて大量に供給された。

それが「ニューウェーヴ」だったととりあえず考えておこう。

そのうち主流はThe PoliceやU2のようにスーパーロックグループに成長してゆく。私を含めたこのようなあからさまな商業主義が嫌いな者には「インディーズ」という隠れ蓑が提供されていた。Rough Trade, Cherry Red, 4AD, Factoryといった並みいる「優良」インディーレーベルが乱立した。日本でもちょっと遅れたとはいえ「ナゴムレコード」を中心にしてインディーズブームがやってくる(奥田民夫もこれが出発点)。

日本にだけ視線を限定すれば80年代後半はいわゆる「バブル期」だったので、ほんとにマイナーな英米のインディーズバンドでさえもがライヴをしに日本に来れた時代だった。

さて「ワールドミュージック」だが私から見るとそれは「差異表示記号」の最終兵器であった。敷居が高そうに見えること、ポピュラー音楽の「原点」であるという漠然としたその「権威感」(authenticity)、それら全てが日本を含めた高度消費社会において急速に「産業化」されていくポピュラー音楽への「異議申し立て」のように感じられたであろう。それとともに「オレは他の連中とは違う」という自意識も満足させられる。それも一種の贅沢である。

したがってそれまではアフリカやアジアの国営のレコード会社がほぼ現地ミュージシャンのパトロンとなっていたのが、「ワールドミュージック」ブーム到来以降大々的に商業ベースに乗るようになった。国営のレコード会社はそれまでの音源の売買によってそれなりに儲けたのではないかと想像するが、実質的にも表面的にもそれからは欧米、日本の音楽文化企業が出資するようになったのではなかろうか?

アメリカのPutmayoのことをここで思い出すのだが、やはり「ワールドミュージック」もパンクロック同様「おしゃれ」なものとして売り出されていく過程が見える。「ワールドミュージック」の場合はそこに、エコロジーという付加価値が加わる。

そうなるともう我々の住むグローバル化時代の論理である。

自由競争、環境保護、etc.

今日はパンクとワールドミュージックの同列化として、イギリスのThe Clashの名曲'Rock the Casbah'とアルジェリアのRachid Tahaの'Rock el Casbah'を紹介する。オリジナルはクラッシュ。
The Clash, 'Rock the Casbah'
http://www.youtube.com/watch?v=OAkfHShATKY
Rachid Taha, 'Rock el Casbah'
http://www.youtube.com/watch?v=7DbFYsi9iSg

もちろんクラッシュのオリジナルは題材をアルジェリアの「貧困地区」("casbah")にとっているのでタハがカヴァーしてることに違和感はない。

というか、どっちもかっこいい!
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