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「くうねるあそぶ」の糸井重里は文学詩人では決してありえないが、それは別に恥ではない。

が、ハイデガーがこっそりしたためた詩は読めたものではないものの、「詩」の重要性を認めていた一級の哲学者であった。

これは声を大にして言っておきたいが、アガンベンはいまや死語であるロマンス語(フランス語とスペイン語の祖先)を勉強して近代詩の原型であるトルバドールと、彼らに学んだダンテの詩を研究することでハイデガーの弟子なのであった。

社会科学の文化研究者がアガンベンを引用するところを聞いたり、読んだりするといらいらする。あなたはダンテの『神曲』を原文にしろ、日本語訳にしろ読んだことがあるんですか、と。

アガンベンの学識の高さ(古典力の高さ)はデリダなどとは違って努力と苦労の賜物である。なにせ、初期の文学論文集『スタンツェ』に収められたボードレール論など悲惨極まりない。明らかに議論が錯綜していて、壊れている。でもそういう苦労を長年重ねて初めて『ホモ・サケル』や『中身のない人間』という名著を記すことができた。

べつに古典ギリシャ語やラテン語、ロマンス語が読めるからえらいと言っているわけではない。そうではなくて私の後輩でダンテの『神曲』の原文を10年計画で読んでいるやつがいるが、そういう者こそアガンベンやハイデガーが必要なのである。

そういう悠長なことやれるのは生活に余裕があるからだ、なんてアホなこと言うなかれ。後輩は年々生活が苦しくなっているのだ。

私だって風呂付きに住めるようになったのは35歳からだ。

アガンベンを引用するのはミルトンの『失楽園』かジョイスの『ユリシーズ』を原文で十分に読めるようになってからにしてもらいたい。そうじゃなかったら侮辱ですよ、ホント。

「詩」が終わっていることを認めたうえで、私はそれでも「詩」への畏怖を促したい、世の中に。
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