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からこそ、インディー・ロック、ギター・ポップは「美しかった」のである。

子供と大人の中間にあって、家庭からも社会からも孤立している「若者」の音楽であったから「美しい」のだ。しかも「純粋さ」がとても痛々しく、悲しくもある。

小さなライブハウスで彼らインディーバンドのライブを体験して、その「美しさ」に共感したとしても、所詮ライブは「通過儀礼」であり、子供が大人へと変貌するにつれて、その「美しさ」は錆び果てる。つまり宝石と思えたものが「ゴミ」になる。

それは暗くて狭い空間に佇む観客だけではなく、華やかな舞台で演奏するパフォーマー達にさえ訪れる宿命だ。醜く老いぼれていくパフォーマーが儚い、だからこそ「美しかった」音楽を観客に届け続けることは難しい。観客たちも同時に歳をとっていくからだ。

「美しくなくなった」かつての偶像を目の当たりにする時こそが厳しい現実に直面させられる瞬間である。だからその瞬間を経験した多くのインディー・ファンはライブハウスを去ってゆく。大人になるのだ。通過儀礼の終了である。

大人の現実社会は、世界地図のどこにいるのかには関係なく、またキリスト教圏か仏教圏にも関係なく、プロテスタント倫理に裏打ちされた資本主義の世界である。現代の世界は「グローバルなもの」だからだ。すなわち、儚い「現在」にではなく不確かだが、だからこそ可能性の広がっている「未来」に投資する。プロテスタント倫理は未来の「幸福」を実現するために禁欲的であること、浪費しないこと、理性的であること、そしてなにより一生懸命労働することを我々に要求する。

汗水たらして働いて得たお金、神経をすり減らして稼いだお金、は「神」からの贈り物であり、したがって富を築くことと信仰は両立する。労働はこの倫理にとって「善」だからである。これこそがアメリカが世界を席巻することになった思想である。そうはいっても人間性を踏みにじるような「金儲け主義」は間違っている。「神」の意には添わない。(マックス・ウェーバー『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』を参照してくださいね。)

以上、風邪気味元インディー野郎の独り言でした。
これからもエッセイみたいなものを綴っていく予定です。
宜しく。


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