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伝えなければならないこと。

あぶらだこ、21世紀における展開。


これを観て、聴いて、「訳分からん」「ボーカルの目が行っちゃってて気持ち悪い」、そういう反応があってもいいと思う。

でも大事なのは、音楽のあり方について我々の心が「開かれている」ことである。

こういう音楽もあるんだ、ちょっと面白いな、と思えることである。

教師(とくに音楽を教えたいなら)の仕事は柔軟な感性を育てることにある。

音楽の多様な可能性は音楽だけにとどまる話ではなく、音楽を通して(とくに聴いたことのないような音楽を通して)人生にさまざまな可能性があること、もっと多様な幸福が存在しえること、を理解、体感してもらうことにある。

その意味では、音楽の多様性を制限してしまうような市場の論理には反発する勇気を持たなければならない。

知的には分かってはいても、本能的にダメ、という意見は分かる。でもそれは本当に「本能」かと自問してもらいたい。

メインストリームの音楽も悪くはない。それは大変な競争を勝ち抜いた音楽であるから、尊敬に値する。だが、それはミュージシャン本人と視聴者双方が、音楽産業が課してくるさまざまな画一的な文法(メロディー、歌詞、パフォーマンス)を受け入れることで音楽の多様性の多くを犠牲にしている、という自覚の上でなければならない。多くの売れているミュージシャンで優れた人たちは分かっている、と私は信じたい。

言い換えれば、不快に感ずる音楽も実は「本能」からではなく、音楽産業が課してきた基準が内面化されているからそう感じるに過ぎないのである。

ボーカル担当の長谷川裕倫の藪にらみの歌い方に戦慄せよ。初期のハードコア・パンクからはずいぶん曲調が変わって、プログレっぽさが増しているが、長谷川の「衝動」第一主義は変わっていない。それに日本の民謡的な調べが混ざっていたりする。進化しているのだ。

ライブではMCなど入らない。ひたすらみょうちくりんなメロディーと歌詞を叫びまくっている。ものすごい緊張感を漂わせ、観客に媚びることがない。でも伝わる人には伝わるのだ。

私はいつもいつもこういう音楽を聴いているわけではない。アジカンもカラオケで歌うし、なんなら青春の巨匠中村雅俊の歌も歌う。

ただただ「開かれていること」が大事なのだ。もちろんそれを阻害するような動き(それが個人的なものであれ、経済的なものであれ、政治的なものであれ)に対してはぜんりょくで戦わなければならない。

そういうものでしょ?
 

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